週 句 信じます。信仰のないわたしをお助けください。
聖書 マルコ 9章24節
聖書 マルコ 9章24節
説 教 「あなたはどう思うのか」 高橋周也
聖書 マルコ8章27~38節
「神のこと=現実、人のこと=幻」
イエス様は、これまでのガリラヤでの活動に区切りをつけて、エルサレムに入るという新しい段階の始まりにあたって、十字架と復活についてお教えになりました(受難予告)。まさにその語りの直前に、イエス様に対して「あなたはメシア(キリスト)です」と信仰告白したはずのペトロは、それに対して主を諌(いさ)めた(=叱(しか)った/激しく拒絶した)のでした。多くの苦しみを受け、排斥され、殺されるとは言語道断と憤ったのでしょう。ペトロの思っていたメシア像とは、イスラエルをローマの支配から解放してくれる(そして、世界を手に入れるような)政治的支配者、英雄的存在であったことでしょう。主の言葉は、それとはあまりにも異なっていたのです。そのペトロに対してイエス様は「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている」と、ペトロをお??りになりました(=諫めた/激しく拒絶した)。
私たちがもしこのやり取りを十字架以前に見聞きしていたら、果たしてイエス様とペトロのどちらが正しく常識的であると感じたでしょう。誰が当時の世界最大の「恥」である十字架におかかりになる「救い主」を想像し得たでしょうか。その主の死こそが勝利であると誰が言い得たでしょうか。おそらくペトロに軍配が上がったはずです。もちろん一介の地方出身の若者がペトロの想像したような支配者になることもまた壮大な夢ですが、少なくとも「十字架の主」よりは現実的だったでしょうから。
しかし、私たちはこの神の歴史において、そのどちらが神のなされた業であるかを知っています。「神のこと」が現実になり、「人のこと」は幻に終わったのです。実は「人のこと」はいつも幻(非現実的)です。主は、主の言葉を恥じる(=死に追いやる)力を打ち破られました。今日の私たちが真の人間性を回復し生きるためです。
わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである。
聖書 マルコ8章27~38節
「神のこと=現実、人のこと=幻」
イエス様は、これまでのガリラヤでの活動に区切りをつけて、エルサレムに入るという新しい段階の始まりにあたって、十字架と復活についてお教えになりました(受難予告)。まさにその語りの直前に、イエス様に対して「あなたはメシア(キリスト)です」と信仰告白したはずのペトロは、それに対して主を諌(いさ)めた(=叱(しか)った/激しく拒絶した)のでした。多くの苦しみを受け、排斥され、殺されるとは言語道断と憤ったのでしょう。ペトロの思っていたメシア像とは、イスラエルをローマの支配から解放してくれる(そして、世界を手に入れるような)政治的支配者、英雄的存在であったことでしょう。主の言葉は、それとはあまりにも異なっていたのです。そのペトロに対してイエス様は「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている」と、ペトロをお??りになりました(=諫めた/激しく拒絶した)。
私たちがもしこのやり取りを十字架以前に見聞きしていたら、果たしてイエス様とペトロのどちらが正しく常識的であると感じたでしょう。誰が当時の世界最大の「恥」である十字架におかかりになる「救い主」を想像し得たでしょうか。その主の死こそが勝利であると誰が言い得たでしょうか。おそらくペトロに軍配が上がったはずです。もちろん一介の地方出身の若者がペトロの想像したような支配者になることもまた壮大な夢ですが、少なくとも「十字架の主」よりは現実的だったでしょうから。
しかし、私たちはこの神の歴史において、そのどちらが神のなされた業であるかを知っています。「神のこと」が現実になり、「人のこと」は幻に終わったのです。実は「人のこと」はいつも幻(非現実的)です。主は、主の言葉を恥じる(=死に追いやる)力を打ち破られました。今日の私たちが真の人間性を回復し生きるためです。
わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである。