07│2022年02月13日 降誕節8 教えるキリスト

週 句 そこでイエスがお尋ねになった。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」
    聖書 マルコ8章29節
説 教 「すべての人に言うのだ」高橋牧師
    聖書 マルコ13章32~37

「誰よりも待ち望む神」
イエス様は終末について語られる際、イエス様はご自分を「旅に出る人」「家の主人」に、キリストの弟子である私たちを「門番」や「僕たち」に、それぞれたとえています。私たちには割り当てられた「仕事」や「責任」があると言うのです。そして、終わりの日までを生きる私たちへの勧めとして「目を覚ましていなさい」と何度も繰り返し強調なさいました。しかもすべての人に伝えるように命じられました。それは、私たちの誰もが知らず知らずのうちに「眠ってしまう」存在だからではないでしょうか。そんなことが起こっては残念です。教会であれ個々人であれ、今日私たちが存在していることは、そのこと自体が主のご意志によるものだからです。背後にそれを意識するならば、つまり私たちがどんなに些細と感じる事柄や存在も、神様の目にはこの上なく大きなことで、つまらない物事など何一つないのです。
とはいえ私たちに何か「仕事」や「責任」があるとは、ノルマを課されているようで重荷に感じる方もおられるでしょうか。確かに人間同士の関係であれば、これらの言葉は人を監理し強制力を持つようなところがあります。しかし、主は、徹底的に愛情と信頼に基づいて本日の箇所を語っているのであり、私たちが「その日、その時」に至るまで、どのように自分の命を使って生きるのか。与えられた自由のうちに、人が何をしようとするか、それによってどんな出来事が起こるかを、主は心底楽しみにしておられるのです。
私たちの先人である使徒パウロは、喜びをもってその主の心に応答しました。目を覚まして生きる人は前を向いて生きるのです。
「私は、すでにそれを得たというわけではなく、すでに完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕らえようと努めているのです。自分がキリスト・イエスによって捕らえられているからです。・・・なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。」(フィリピ3章/協会共同訳)