週 句 わたしはそれを見た。だから、この方こそ神の子であると証ししたのである。
聖書 ヨハネ福音書1章34節
聖書 ヨハネ福音書1章34節
説 教 「王は不安を抱き、世界の片隅は喜んだ」高橋周也 牧師
聖書 マタイ2章1~12 節
「宝箱をあける喜び」
クリスマスおめでとうございます!今日はいよいよ2021年最後の礼拝となりました。主イエス・キリストの誕生の最初の目撃者となった占星術の学者たちと喜びを共にいたしましょう。
よく注目されることですが、救い主の誕生にまず立ち会ったのが、祭司長たちや律法学者たちではなく、あろうことか当時ユダヤ教社会において蔑まれていた占星術の学者たち(それと、羊飼いたち)であるということは、やはり特別なことです。彼らは信仰に寄らず、星に導かれて、生まれたての主イエスに出会うことになったからです。このことは救い主誕生が神の民イスラエルのみならず、私たち異邦人を含めた世界中すべての人のためであったことを証しています。彼らは喜びにあふれ、贈り物をささげました。また、占星術の学者たちをヘロデ王の殺意から守ったのが、今度は星の観察によってですらなく、「夢」であったことは興味深いことです。しかもその「守り」は一見逃亡とも取れるのです。
一方、ヘロデ王は救い主誕生の報せに不安を抱いた、とあります。持てる者の恐れや不安がここにあります。注目に値するのは、不安を抱いたのはヘロデ王だけではなく、「エルサレムの人々も皆同様であった」ということです。ヘロデ王は、政治的思惑があったとはいえ、壮大な神殿の再建を成し遂げた人物です。エルサレムの人々には当然いろいろな人がいたでしょうが、祭司長たちや律法学者たちもそこに含まれるわけです。そんなエルサレムの人々は、神の民であるはずなのに、皆、一緒になって不安を抱いているのです。
ヘロデはイエス様を殺そうとします。占星術の学者たちとは対照的です。救い主を前に彼らは商売道具をささげてしまうのですが、そのうちの「没薬」は、彼らが商売の中で呪いの言葉を書く時に使ったものだと言われています。彼らは人を呪う(殺しにつながるかもしれない)ことを放棄したのです。彼らの「守り」は敵前逃亡ではなく、ヘロデと同じ土俵で争う必要がないことを示しているのではないでしょうか。
聖書 マタイ2章1~12 節
「宝箱をあける喜び」
クリスマスおめでとうございます!今日はいよいよ2021年最後の礼拝となりました。主イエス・キリストの誕生の最初の目撃者となった占星術の学者たちと喜びを共にいたしましょう。
よく注目されることですが、救い主の誕生にまず立ち会ったのが、祭司長たちや律法学者たちではなく、あろうことか当時ユダヤ教社会において蔑まれていた占星術の学者たち(それと、羊飼いたち)であるということは、やはり特別なことです。彼らは信仰に寄らず、星に導かれて、生まれたての主イエスに出会うことになったからです。このことは救い主誕生が神の民イスラエルのみならず、私たち異邦人を含めた世界中すべての人のためであったことを証しています。彼らは喜びにあふれ、贈り物をささげました。また、占星術の学者たちをヘロデ王の殺意から守ったのが、今度は星の観察によってですらなく、「夢」であったことは興味深いことです。しかもその「守り」は一見逃亡とも取れるのです。
一方、ヘロデ王は救い主誕生の報せに不安を抱いた、とあります。持てる者の恐れや不安がここにあります。注目に値するのは、不安を抱いたのはヘロデ王だけではなく、「エルサレムの人々も皆同様であった」ということです。ヘロデ王は、政治的思惑があったとはいえ、壮大な神殿の再建を成し遂げた人物です。エルサレムの人々には当然いろいろな人がいたでしょうが、祭司長たちや律法学者たちもそこに含まれるわけです。そんなエルサレムの人々は、神の民であるはずなのに、皆、一緒になって不安を抱いているのです。
ヘロデはイエス様を殺そうとします。占星術の学者たちとは対照的です。救い主を前に彼らは商売道具をささげてしまうのですが、そのうちの「没薬」は、彼らが商売の中で呪いの言葉を書く時に使ったものだと言われています。彼らは人を呪う(殺しにつながるかもしれない)ことを放棄したのです。彼らの「守り」は敵前逃亡ではなく、ヘロデと同じ土俵で争う必要がないことを示しているのではないでしょうか。