週 句 言(ことば)の内に命があった。命は人間を照らす光であった。
聖書 ヨハネ福音書1章4節
聖書 ヨハネ福音書1章4節
説 教 「私は幸いな者」高橋周也 牧師
聖書 ルカ1章46~56節
クリスマス:隔離の飛び越え」
婚約中のマリアは婚礼の準備もそこそこに、急いで自分の家から出かけて、3ヶ月間も山里にあるエリサベトの家を訪ねました。マリアはそこで聖霊に満たされたエリザベトの宣言を聞くことによって、この賛美(「マリアの賛歌」)へと導かれたのです。
ここにいたのは、ふたりの自ら隠れた(ペリクルプト/隔離した)女性たちです。エリサベトは高齢の女性であり、その人が身ごもったことで世間の噂の的になったことは容易に想像でき、マリアに会う直前のある時点まで、彼女自身も「恥」と感じていたようです。そのためにエリサベトは5ヶ月間にわたって身を隠していたのでした。
マリアの方はよく知られている通りです。聖霊によって身ごもった旨を天使に告げ知らされたマリアもまた、大きな非難のまととなり得ました。そう信じることのできない方がむしろ常識的で正常であり、神の業でないとすれば、ユダヤ教の厳しい倫理意識からして、やはりそれは糾弾の対象でありました。
ふたりの自主隔離に、コロナ時代を生きる人々や私たち自身と重なり合いを感じます。マリアは戸惑い(ディア-タラッソー:強く-激しく思考と感情が交錯し、不安や恐ろしさを感じる)、考え込みました(ディア-ロギゾマイ:強く-衝撃的な状況が激流のように流れ込み、混乱が混乱を呼ぶ心の有様になる)。どうしてそんなことがあり得ようかと苦悶しながら、主のお身体が胎内に宿ることを受け入れました。
マリアの信仰には、非常な旧約聖書への親しみがあったことが窺えます。「私は幸いな者」という告白は、自分自身のためだけでのものではなく、全ての人のために与えられた喜びです。
私たちの心は自主隔離していないでしょうか。主はそこにこそお生まれになられました。私たちは老いも若きもみな、主の命を分かち合うために生かされています。
聖書 ルカ1章46~56節
クリスマス:隔離の飛び越え」
婚約中のマリアは婚礼の準備もそこそこに、急いで自分の家から出かけて、3ヶ月間も山里にあるエリサベトの家を訪ねました。マリアはそこで聖霊に満たされたエリザベトの宣言を聞くことによって、この賛美(「マリアの賛歌」)へと導かれたのです。
ここにいたのは、ふたりの自ら隠れた(ペリクルプト/隔離した)女性たちです。エリサベトは高齢の女性であり、その人が身ごもったことで世間の噂の的になったことは容易に想像でき、マリアに会う直前のある時点まで、彼女自身も「恥」と感じていたようです。そのためにエリサベトは5ヶ月間にわたって身を隠していたのでした。
マリアの方はよく知られている通りです。聖霊によって身ごもった旨を天使に告げ知らされたマリアもまた、大きな非難のまととなり得ました。そう信じることのできない方がむしろ常識的で正常であり、神の業でないとすれば、ユダヤ教の厳しい倫理意識からして、やはりそれは糾弾の対象でありました。
ふたりの自主隔離に、コロナ時代を生きる人々や私たち自身と重なり合いを感じます。マリアは戸惑い(ディア-タラッソー:強く-激しく思考と感情が交錯し、不安や恐ろしさを感じる)、考え込みました(ディア-ロギゾマイ:強く-衝撃的な状況が激流のように流れ込み、混乱が混乱を呼ぶ心の有様になる)。どうしてそんなことがあり得ようかと苦悶しながら、主のお身体が胎内に宿ることを受け入れました。
マリアの信仰には、非常な旧約聖書への親しみがあったことが窺えます。「私は幸いな者」という告白は、自分自身のためだけでのものではなく、全ての人のために与えられた喜びです。
私たちの心は自主隔離していないでしょうか。主はそこにこそお生まれになられました。私たちは老いも若きもみな、主の命を分かち合うために生かされています。