18│2021年04月25日 復活4 イエスは復活また命

週    句

キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。
コリントの信徒への手紙Ⅱ 5:17
説  教  「死に涙し、復活を告げる人」 :高橋周也

イエスは復活また命
ネヘミヤ2:1~18、Ⅰコリ12:3~13、ヨハネ11:17~27、詩編136:1~9。

兄弟ラザロの死に対してマルタは、「終わりの日の復活の時に復活することは存じております」と言いました。しばしばこの箇所に対する解説書では、「これは当時のイスラエルの人々の考え方で、彼女はそれを口にしたのだ」と書かれています。確かにその通りなのですが、ただし書きが必要だと思います。なぜなら、当時から現代に至るまで、復活信仰の告白は決して当たり前とは言えないからです。
20世紀の神学者クルマンは『霊魂の不滅か、死者の復活か』を著した際、その出版のきっかけとなった出来事について語っています。それは彼が、新約聖書の死後の人間に対する教えである「永遠の生命」は、「キリストを信じる者にとって、人間の魂は本質的に不滅となる」のではなく、「イエス・キリストの死と復活によって、聖霊が人間の魂を復活の生命に目覚めせる」という意味であり、その2つは相容れないものであると明言したことでした。
前者はギリシア哲学的な思想で、後者が最初のキリスト者たちの信仰なのですが、後者を主張したクルマンに対して、当時ヨーロッパ中のキリスト者たちから非難と失望の声があがりました。たくさんある彼に対する反対の言葉を無理矢理要約すれば、「霊魂の不滅なら信じられるが、『死んでからだがよみがえる』などということは、到底受け入れられない」というものでした。
 しかしクルマンの言った通り、確かに霊肉共に人は死にます。それは、復活の希望をもって眠りにつくということです。大切なことは、そこにおいてもなおイエス・キリストが共にいてくださることです。そして私たちも、この地上にいながら既に、よみがえりの命、永遠の生命を生きることができるのです。
どんなふうに?―今日のラザロの箇所は、それを証しています。