10│2021年02月28日 復活前5 悪と戦うキリスト

週    句

キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対する愛を示されました。
ローマの信徒への手紙5:8
説  教  「神様の栄光をあらわすために」

コリントの信徒への手紙Ⅰ 10:23~11:1

悪と戦うキリスト
イザ35:1~10、Ⅰヨハ3:1~10、マタイ12:22~32、詩編130:1~8。
悪魔の誘惑を退けられたイエスでしたが、イエスを惑わそうとするのは悪魔だけではありません。救いを待ち望んでいるはずの人々が、自らイエスに躓き、惑わそうとします。イエスの力を信じることができず、悪魔の頭ベルゼブルの力によって奇跡を行っていると非難する者たちが現れます(マタイ12:24)。
救いは必ず来るとわかっていながら、どうして人間は惑うのでしょうか。なぜ確信を抱くことができないのでしょうか。やはり人を惑わすのは自分の中にある誘惑です。それは、己の力で何かを為すという過信であったり、「あるべき救いの姿」という思い込みであったりします。自分自身の欲望が、目を曇らせ、真実から目をそらさせます。そして、神などいない、神の救いなどないとうそぶくのです。
そのような人間を救うために、私たちのところにイエスは来られました。イエスの誕生そのものが、神の国の到来の初めであり、証しです(マタイ12:28)。イエスがおられること(=インマヌエル)そのものが、救いの約束の実現、確かさを担保しています。誘惑に打ち勝つ力の無い私たちを、力が無いままで救う、「神は来て、あなたたちを救われる」(イザヤ35:4)との約束は真実です。だから私たちはその約束を信じて「待ち望む」のみです(詩編130:5)。
ただし、ただ待っているのみで救いが訪れるのではありません。誘惑に惑わされることなく待ち続けることが大切です。確かな助けがあると信じて誘惑と向き合い続けましょう。万全でないかもしれませんが、「義を行」い続けることが唯一、誘惑に抗う道です(1ヨハネ3:7)。荒れ野でイエスが悪魔の誘惑を退けられたように、私たちも神の言葉を、神の思いをもって今、この時代と向き合いましょう。明けない夜はありません。神の国はすでに私たちのところに来ているのですから。
「礼拝と音楽」より