08│2021年02月14日 降誕08 奇跡を行うキリスト

週    句

今、私たちはエルサレムに上っていく。人の子について預言者が書いたことはみな実現する。
ルカによる福音書18:31
説  教  「神さまの召しにそった歩み」 

コリントの信徒への手紙Ⅰ 7:17~24

奇跡を行うキリスト
イザヤ30:8~17、使徒12:1~17、マタイ14:22~36、詩編107:10~22。
苦しいとき、辛いとき、人は助けを求めます。それは決して悪いことではありません。聖書にも人々が神に祈る姿が描かれ、救いが与えられる場面も多くあります。だから、なおさら助けを求めます。
神は、そのような人々の祈りを見逃されません。「主は慈しみ深く/人の子らに驚くべき御業を成し遂げられ」(詩編107:21)ます。この「驚くべき御業」の一つが奇跡です。人の目にはにわかに信じられないような出来事が起こり、神の救いが実現されます。
嵐の中、イエスが湖の上を歩かれるのも奇跡です(マタイ14:25)。これほどわかりやすい救いの場面はありません。だから私たちもつい、奇跡が起きないかと期待し、いつも通りの苦しい日常が過ぎゆくことにただ落胆しているのでしょう。
奇跡は望む時、望む形で現れるわけではありません。船の上の弟子たちは、イエスが湖の上を歩いてこられることを期待してはいなかったでしょう。イエスを見て、「『幽霊だ』といっておびえ、恐怖のあまり叫び声をあげ」(マタイ14:26)ています。牢に閉じ込められたペテロは、天使に導かれて脱出する姿を思い描いてはいなかったでしょう。事実、「天使のしていることが現実とは思われなかった。幻を見ているのだと思っ」(使徒12:9)ていました。そこに奇跡が起こるのです。
だから、仮に奇跡が起こったとしても調子に乗ってはなりません。(マタイ14:28)一つ「救われた」経験をすれば「また次も」と勝手な期待を抱きますが、それは間違っています。そして、勝手な期待が裏切られて私たちは落胆します。「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」(マタイ14:31)との言葉が耳に刺さります。
主の恵みは限りなく大きいのですから、「安らかに信頼していることにこそ力があ」(イザヤ30:15)ります。苦しい時こそ落ち着いて、神に信頼して救いを待ち望みましょう。
「礼拝と音楽」より