週 句
聖なる、聖なる万軍の主。主の栄光は、地を全て覆う。
イザヤ書 6:3
聖なる、聖なる万軍の主。主の栄光は、地を全て覆う。
イザヤ書 6:3
説 教 「『アッバ、父よ』と呼ぶ」:梅田 環
神の子とする霊
申6:4~9、ロマ8:12~17、マコ1:9~11、詩97:1~12。
あなたがたは、……神の子とする霊を受けたのです。この霊によって、わたしたちは「アッバ、父よ」と呼ぶのです。
ローマの信徒への手紙 8:15
パウロもまた「アッバ、父よ」と、神を呼ぶ。厳格なユダヤ教徒だった頃の彼は、神を「アッバ」と呼ぶことなどあり得ないことだった。神とイエスの親密な関係性は、以前のパウロには、理解できなかっただろう。それもそのはず、イエスが神を「アッバ」と呼ぶとき、イエスは最も苦しみ、悩んでいた。人々から嘲りを受け、ボロボロの姿になられたイエスは、以前のパウロの信仰によれば、神に認められるはずのない存在、落伍者だった。
しかし、イエスとの出会いが、パウロを解放した。イエスの十字架は、どのような状況にあっても、神は見捨てないこと、死でさえも、神の愛から離すことはできないことを、明らかにした。そして、復活は、パウロを苦しめていた物差し、価値基準を打ち破り、すべてのものを包み込む神の愛を示した。彼自身の物差しや価値基準の奴隷となっていたパウロを、自分で自分を義としようする苦しみから自由にしてくださった。そのイエスに出会って、パウロは、神を「アッバ」と呼ぶことができたのだ。
彼が恥じていたボロボロの姿で、アッバと呼ぶ、そんな自分を、神は受け入れてくださった、いや、最初から、神のみ手の内にあったのだ、と言うことに気づいた。それまで、彼の中で、最も力を振るっていたものが崩れ去り、イエスと共に神の子どもとして生きる道を歩むことになった。
このイエス(神)経験を通して、パウロは、わたしたちも神の娘であり、息子であることを宣べ伝える。
神の子とする霊
申6:4~9、ロマ8:12~17、マコ1:9~11、詩97:1~12。
あなたがたは、……神の子とする霊を受けたのです。この霊によって、わたしたちは「アッバ、父よ」と呼ぶのです。
ローマの信徒への手紙 8:15
パウロもまた「アッバ、父よ」と、神を呼ぶ。厳格なユダヤ教徒だった頃の彼は、神を「アッバ」と呼ぶことなどあり得ないことだった。神とイエスの親密な関係性は、以前のパウロには、理解できなかっただろう。それもそのはず、イエスが神を「アッバ」と呼ぶとき、イエスは最も苦しみ、悩んでいた。人々から嘲りを受け、ボロボロの姿になられたイエスは、以前のパウロの信仰によれば、神に認められるはずのない存在、落伍者だった。
しかし、イエスとの出会いが、パウロを解放した。イエスの十字架は、どのような状況にあっても、神は見捨てないこと、死でさえも、神の愛から離すことはできないことを、明らかにした。そして、復活は、パウロを苦しめていた物差し、価値基準を打ち破り、すべてのものを包み込む神の愛を示した。彼自身の物差しや価値基準の奴隷となっていたパウロを、自分で自分を義としようする苦しみから自由にしてくださった。そのイエスに出会って、パウロは、神を「アッバ」と呼ぶことができたのだ。
彼が恥じていたボロボロの姿で、アッバと呼ぶ、そんな自分を、神は受け入れてくださった、いや、最初から、神のみ手の内にあったのだ、と言うことに気づいた。それまで、彼の中で、最も力を振るっていたものが崩れ去り、イエスと共に神の子どもとして生きる道を歩むことになった。
このイエス(神)経験を通して、パウロは、わたしたちも神の娘であり、息子であることを宣べ伝える。