23│2018年06月03日 聖霊降臨3 伝道する教会

週    句

あなたがたに耳を傾ける者は、わたしに耳を傾け、あなたがたを拒む者は、わたしを拒むのである。
ルカによる福音書 10:16
説  教  「大胆に御言葉を語ることを」:梅田 環

伝道する教会
歴下15:1~8、使4:13~31、マコ1:29~39、詩69:17~22。

わたしたちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのです。
使徒言行録 4:20

 伝道に励む使徒たちと、それを阻もうとする世との対決とも言えるシーン。発端は、足の不自由な人の癒しだった。問題とされたのは、癒しそのものではなく、何によって癒したかということだった。
 使徒たちは、癒すにしても、語るにしても、祈るにしても、常に、「イエス・キリストの名」において行っていた。彼らの力で、奇跡を行ったのでも、彼ら独自の考えを語っていたのでもない。神の恵みが豊かにあること、人々の内にイエス・キリストおられること、を証ししていた。それを、あろうことか、エルサレムで語り、かつ、行っていたのである。イエスの十字架刑から数ヶ月しか経っていないにもかかわらず。
 エルサレムには、イエスの十字架を目撃し、それが本当に正しいことであったのか、と疑念をもつ者もいたであろう。権力者が最も恐れるのは世論である。彼らは、世論を先導して、イエスを十字架にかけることに成功した。もし、今、それが虚偽に基づくものだという世論が大きくなったら……、と恐れたのではないだろうか。彼らは「神のみ心は何か、神の目から見て正しいことか」を神に尋ね、祈ることを忘れている。彼らの中心は、神ではなくなっている。わたしたちも世間の声に左右され、恐れを抱く。その声の前では、信仰は弱いかのように思われる。
 この不当な仕打ちを受け、使徒たちは祈る。「彼らの脅しに目を向けてください」と。しかし、それに続く祈りは「彼らを懲らしめてください」ではなく、「大胆に語らせてください」との願いである。