15│2018年04月08日 復活2 復活顕現

週    句

神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせ、生き生きとした希望を与えてくださった。
ペトロの手紙一 1:3
説  教    「そこへイエスが」  :梅田 環

復活顕現
民13:1~2,17~33、Ⅱコリ4:7~18、ヨハ20:19~31、詩145:1~13。

弟子たちは……家の戸に鍵をかけていた。そこへイエスが来て……「あなたがたに平和があるように」と言われた。
ヨハネによる福音書 20:19

 きっと教会でイースターを祝うようなムードではなかっただろう。紛(まぎ)れもなく、自分たちの言動から、イエスのむち打ち、イエスの死刑宣告へと展開し、イエスの十字架刑へと至ったのだ。
 その只中にイエスは来られ、弟子たちのために平和を祈った。恐怖が支配する状況が平和・平安を取り戻すことは、まさに、癒しである。イエスは、罪に苛(さいな)まれ傷ついた弟子たちを、まず、癒された。その癒しは、個々人だけの事柄ではなく、神と人、人と人との破れた関係を再構築する力となるものである。自分たちの裏切りで、すべての関係が破れ、どうしてよいのか分からない弟子たちのもとへ、イエスは自ら赴き、平和の祈りによって、赦しを宣言した。そして、それが、破れた関係性や、切れた繋がりを新たに結び合わすことだと教えられた。
 これだけのことをしてもらうのに、弟子たちが行ったことは何もないと言っていい。バプテスマのヨハネは、立ち返り、罪を悔い改めて、初めて赦され救われる、と語った。しかし、イエスは、先立つ立ち帰りを求めず、自ら先に行動され、模範を示された。この赦しによって、弟子たちは新しいいのちを得た。彼らも復活を経験したのだ。
 そして、イエスは弟子たちを派遣する。傷つき、うずくまる者、罪に押しつぶされている者、関係が破綻して死の状態にある共同体を復活させるために。派遣するにあたって、イエスは、弟子たちに赦しの全権を与えた。弟子たちは、以前、支配的権威を求めたが、イエスが与えられるのは、赦しの権能である。