週 句
わたしは一度は死んだが、見よ、代々限りなく、生きている者である。
黙示録 1:18
わたしは一度は死んだが、見よ、代々限りなく、生きている者である。
黙示録 1:18
聖書朗読劇 復 活 〜《ガリラヤ》へ行かん〜
キリストの復活
出14:15~22、ロマ6:3~11、マコ16:1~8、詩118:13~29。
ところが、目を上げて見ると、石は既にわきへ転がしてあった。石は非常に大きかったのである。
マルコによる福音書 16:4
彼女たちにとってイエスは朽ちる肉体を持った人間、死に打ち勝つことのできない限界と弱さを持った人間でしかなかった。
うつむきつつ墓に向かう彼女たちの心にあるのは、自分たちの力では動かすことのできない大きな墓石をどうするかということである。イエスと彼女たちを隔てる大きく、硬く、重く、動かない石は、死の象徴である。死は、イエスと彼女たちの関係を壊し、彼女たちをうつむかせ、生きているものからいのちを奪うほどの圧倒的な力を持っている。イエスの死によって自分たちのいのちさえ脅かされている彼女たちは、それでもなお、現実を見なければならない。何とか墓石を動かして、油を塗らなければならない。墓と遺体にはイエスの壮絶な死が刻み込まれている。人々から「否」とされたイエスの人生・存在そのものを見つめなければならない。
週の初めの日、日が出るとすぐに、マリアたちは自分たちの置かれた現実を直視しに出かけた。しかし、すでに、墓石は動かされ、イエスの遺体もなくなっていた。そして、白衣の若者がイエスの復活を告げる。週の初めの日は、「光あれ」との呼びかけによって、神が天地創造を開始された日である。神がお造りになった光が、真っ暗な墓の内部を照らす。それは、「否」とされたイエスのいのち・彼女たちのいのちを「然り」とされたとのメッセージではないだろうか。
わたしたちをうつむかせ、黙らせる死が最も強い力を持つのではないことが、イエスの復活を通して世界に宣言された。この希望の光を確信して、世界の夜明けを待とう!