51│2017年12月17日 降誕前2 先駆者

週    句

主のために、荒れ野に、道を備えよ。見よ、主なる神は、力を帯びて来られる。
イザヤ書 40:3、10
説  教    預言者(先駆者)の務め  :梅田 環

先 駆 者
イザ40:1~11、Ⅱペト3:8~14、マル1:1~8、詩85:2~14。

慰めよ、わたしの民を慰めよと/あなたたちの神は言われる。/エルサレムの心に語りかけ/彼女に呼びかけよ。……
イザヤ書 40:1〜2a

 神の言を退け、神に背き続け、ユダ王国はついに滅亡し、民の指導者たちはバビロンに連行され、捕囚の民として生きざるを得ませんでした。長期間にわたる捕囚の末、解放が告げられたものの、帰還する人々を待ち受けていたのは、荒廃した故郷でした。彼らの希望は打ち砕かれ、疲れ果て、歩く気力も失い、暗闇に座す状態であった。まさに彼らの心そのものが「荒れ野」の状態でした。自業自得だ、当然の報いだ、神に背いたのだから、と自己を責め、非難もされる。しかし、そのような人々を、神は見捨てられないのです。
 「慰め」という言葉には「苦しみや悲しみにいる人に優しく接する、一時的に楽しませる」という含意(がんい)があります。しかし、神の慰めは、そのようなその場しのぎ、気の紛らわし、でもなければ、現状に甘んじることでもありません。それは、苦しい現実を積極的に受けとめて歩もうとする力を与えるものなのです。それは、現実を変革する力にもなります。その慰めの言葉を、エルサレムの心に染み通るように語れ、と神は預言者に求めます。
 神の慰めの言葉とは、荒れ野に神は来られ、あなたがたと共にいる、そして、そこから救い出す、という約束です。「慰め」という言葉は、ヘブライ語では「激しい息使い、深く息を吸い込むこと」を意味するそうです。息、つまり命、が与えられるということです。
 荒れ野を住まいとしていた人々は、生きる気力を失い、死んだような状態でした。そのような彼らの心に神が触れた時、彼らは、深く息を吸い込み、再び生きる者となるのです。