52│2017年12月24日 降誕前1 告知

週    句

主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。主はすぐ近くにおられます。
フィリピの信徒への手紙 4:4、5
説  教    角を上げる〈99%〉    :梅田 環

告   知
サム上2:1~10、ロマ1:1~7、ルカ1:39~56、詩113:1~9。

ハンナは祈って言った/「主にあってわたしの心は喜び/主にあってわたしは角を高く上げる。……
サムエル記上 2:1a

 女性は「こうあるべき」という声に苦しむ。ハンナ、エルカナ夫妻には子供がいなかった。エルカナにとってそれはそれほど問題ではない。しかし、ハンナは「子供を産むべき」という重圧に心を引き裂かれていた。一方、マリアは、思いがけない妊娠により、婚前女性に求められる条件から外れてしまったことに、不安を隠せない。あるべき形から外れてしまうと、共同体の中では、汚れた者、神に祝福されていない者としてのレッテルが貼られ、居場所を失う。
 しかし、ハンナとマリアは、高らかに解放の歌を歌います。これまで、涙を流していたハンナが、また、居場所を失いエリザベトのもとに身を隠していたマリアが、顔を上げて歌うのです。堂々として積極的な姿に、いったい彼女たちの身に何が起こったのだろうかと、驚かずにはおれません。彼女たちは、神が目を留めてくださったこと、聖霊によって力が与えられたこと、神の守りが約束されていることを喜び、感謝するのです。
 「わたしは汚れていない!」という喜びの声が聞こえて来るようです。神は、わたしたちの「こうあるべき」という規範を覆す方であることを、彼女たちは証しします。この神に出会ったからこそ、彼女たちもまた世の規範を乗り越え、新たな命を生きる者となったのです。
 しかし、今なお、わたしたちはハンナとマリアに「謙虚さ、従順さ」を求め、自分の意見を言わずに、ただ神に従うイメージを押し付けているのではないか。隣人に対しても「こうあるべき」と迫っています。彼女たちの歌を共に歌うことによってイエス(自由)と出会おう。