12|2017年03月19日 復活前4 受難の予告

週    句

鋤に手を掛けてから、後ろを顧みる者は、神の国にふさわしくない。
ルカによる福音書 9:62
説  教    「自分の十字架を背負って……」    :梅田 環

受難の予告
ヨブ1:1~12、Ⅰペト4:12~19、マタ16:13~28、詩85:5~10。

わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。
マタイによる福音書 16:24

 ペトロはイエスさまにその名「ペトロ」(岩)と命名され、「この岩の上にわたしの教会を建てる」と使命を託されました。彼の信仰告白の上に教会を建てる、という意味です。彼は弟子集団を代表して応えたのですから、弟子の群れ、すなわち信仰告白を共有する民の上に、教会は建てられるということです。
 その教会に天国の鍵が授けられました。これはペトロへの委託と同時に、弟子たちへの委託でもあります。律法遵守こそ天国に入る条件と考えられていた時代、主の贖(あがな)いによって天の門は開かれたのですから、その鍵は信仰を告白する教会に託されたのです。
 続く受難予告は、殺されねばならぬ、そう定められているとの神の意志を表したものです。主の死後、弟子たちが、迫害され動揺するという嵐の中を乗り越えることができたのは、ここで語られたメシア理解があったからではないでしょうか。それをペトロの情によって薄めてはいけないのであって、厳しく戒めることによって、弟子たちの心に刻んだのでしょう。「引き下がれ」とは、「後ろに行きなさい」との意で、前に立ちはだかって道を塞ぐのではなく「わたしについてきなさい」との呼びかけだったのです。
 自分の十字架を負うというのは、イエスさまの後に従い、主によっていかされる生を徹底する道です。ヨブが、理由も分からないままに課された試練を背負ったように(ヨブ1:12)、わたしたちにも背負うべき十字架が与えられますが、それは、キリストの苦しみに与ることであり、また、キリストのいのちに与ることでもあるのです。