10│2022年03月06日 復活前6 荒れ野の誘惑

週 句 神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。
    聖書 マルコ12章27節
説 教 「おいしゅうなれ!」 高橋牧師
    聖書 マルコ11章12~14、20~26

「山の向こうには海がある」
イエス様はおっしゃいました。はっきり言っておく。だれでもこの山に向かい、『立ち上がって、海に飛び込め』と言い、少しも疑わず、自分の言うとおりになると信じるならば、そのとおりになる。
 エルサレムにやって来たイエス様と弟子たちの眼前にはオリブ山があったのでしょう。古くからオリーブ畑が広がるその山の頂からは、エルサレム市街だけでなく、その向こう側にある死海がよく見えるのだそうです。いちじくやオリーブ、(そして、ぶどう)は、いずれも旧約聖書の時代からイスラエルを象徴する大切な植物でした。また彼らにとって「山」は、モーセを思い起こさせるものでもありました。モーセは出エジプトの終わりに、山の頂で約束の地を見たのです。モーセ自身はそこに入ることが叶いませんでしたが、彼は主の約束を信じて天に召されていったのです。私たちには少々難解な今回のいちじくのたとえは、ここに挙げられた事柄を前提に語られており、きっと聖書の世界の人たちにとっては「なるほど!」と思わせるものだったことでしょう。死海にたとえられた「祈り求めるもの」=主の約束の成就は、今は見えないけれども必ずオリブ山の向こうに存在しているのです。実は、この文章で一番重きが置かれるのは「少しも疑わない」であると言えます。それはモーセが立っていた信仰であり、20世紀のキング牧師が到達した視座でもあります。
私はただ神のご意志を実現したいのです。神は、私が山に登るのを許されました。私は山の向こうに約束の地を見たのです。私は皆さんと一緒にそこにたどり着けないかもしれない。しかし、今夜、皆さんにわかって欲しい。私たちは、ひとつの民として必ずや約束の地に到達するということを。だから、今夜、私は幸せです。私は何も心配することはなく、誰をも恐れてはいないのです。私の眼は、神の再臨の栄光をみたのです。―キング牧師
 私たちの目の前に山があるでしょうか。その向こう側に何を見るでしょうか。