週 句 主は、従う人に目を注ぎ 助けを求める叫びに耳を傾けてくださる。
聖書 詩編34編16節
聖書 詩編34編16節
説 教 「イエスとサマリアの女」草苅隆幸
聖書 ヨハネ4:1~27
「まことの礼拝者」 高橋周也 牧師
サマリアの女性は生きることを諦めませんでした。正午ごろに来たのはおそらく人目を避けるためですが、そこまでしてでも水を汲みにやって来のです。また、犬猿の仲であるユダヤ人の、しかも見知らぬ男性から話しかけられたのに、目を反らし黙って逃げてしまったりなどせずに、きちんと応答したのは立派です。この時代にはレビラート婚(夫が亡くなると夫の弟の嫁にさせられる制度)や男性の都合で一方的に離婚できることが普通であり、かつて5人の夫がいたことは、彼女のこれまでの人生がいかに苦労の多いものだったか、どれだけその状況が彼女を苦しめてきたかを示しています。
イエス様はこの女性とであい、対話をなさいました。イエス様は現在と過去を含めた彼女のありのままを受け止め、まことの礼拝へと招きます。これがサマリアの女性を潤し、それは大きな喜びとなって、彼女はなお厳しい人間関係の中に置かれつつも(42節)、人々に主を証する者へと変えられました(29節)。
イエス様は、主とのであいの「今」、時間や祭儀(「この山」=ゲリジム山やエルサレムの神殿)に縛られない礼拝(21節)、「わたしである」とご自身を示してくださるイエス様への礼拝(26節)を教えてくださいました。
さて本当にたまにですが、礼拝以外の時間にこの教会を訪ねて来たり電話をくださったりする方々がいます。あるいは最近残念ながら何度か教会のフェンスなど破壊行為の被害にも遭いました。(悲しい思いになりますが、そういう人たちは深いところに神への期待があってその裏返しなのではないかと思います)ときに牧師の目すら避けて、水を求めている人がいます。実は、私たち一人ひとりの周りにもサマリアの女性がいるのではないでしょうか。
私たちはこれからも生ける水(生きた御言葉と聖霊)による喜びを求め続けて参りましょう。まことの礼拝こそまことの伝道なのです。私たちは生ける水を頂くことによって、イエス様を伝えるということをやめないのです。
聖書 ヨハネ4:1~27
「まことの礼拝者」 高橋周也 牧師
サマリアの女性は生きることを諦めませんでした。正午ごろに来たのはおそらく人目を避けるためですが、そこまでしてでも水を汲みにやって来のです。また、犬猿の仲であるユダヤ人の、しかも見知らぬ男性から話しかけられたのに、目を反らし黙って逃げてしまったりなどせずに、きちんと応答したのは立派です。この時代にはレビラート婚(夫が亡くなると夫の弟の嫁にさせられる制度)や男性の都合で一方的に離婚できることが普通であり、かつて5人の夫がいたことは、彼女のこれまでの人生がいかに苦労の多いものだったか、どれだけその状況が彼女を苦しめてきたかを示しています。
イエス様はこの女性とであい、対話をなさいました。イエス様は現在と過去を含めた彼女のありのままを受け止め、まことの礼拝へと招きます。これがサマリアの女性を潤し、それは大きな喜びとなって、彼女はなお厳しい人間関係の中に置かれつつも(42節)、人々に主を証する者へと変えられました(29節)。
イエス様は、主とのであいの「今」、時間や祭儀(「この山」=ゲリジム山やエルサレムの神殿)に縛られない礼拝(21節)、「わたしである」とご自身を示してくださるイエス様への礼拝(26節)を教えてくださいました。
さて本当にたまにですが、礼拝以外の時間にこの教会を訪ねて来たり電話をくださったりする方々がいます。あるいは最近残念ながら何度か教会のフェンスなど破壊行為の被害にも遭いました。(悲しい思いになりますが、そういう人たちは深いところに神への期待があってその裏返しなのではないかと思います)ときに牧師の目すら避けて、水を求めている人がいます。実は、私たち一人ひとりの周りにもサマリアの女性がいるのではないでしょうか。
私たちはこれからも生ける水(生きた御言葉と聖霊)による喜びを求め続けて参りましょう。まことの礼拝こそまことの伝道なのです。私たちは生ける水を頂くことによって、イエス様を伝えるということをやめないのです。