41│2021年10月17日 聖霊降22 天国に市民権をもつ者

週 句 地とそこに満ちるもの 世界とそこに住むものは、主のもの。
    詩編24編1節
説 教 「開けてください」高橋牧師
    マタイ25章1-13節

「血を吐くようなことわざ」

自らの故郷である東北・気仙沼のことばで翻訳した「ケセン語訳聖書」で有名な医師・山浦玄嗣(はるつぐ)氏の著書に、「津波てんでんこ」の教えについて書かれている箇所があります。
「津波てんでんこ」とは、津波が襲って来たら、親も子も友だちも一切構わずに、一瞬のためらいもなく全力を挙げて「てんでんこ」(=「てんでばらばら」)に逃げるように、という教えです。これについて、山浦氏はこのように解説します。

今度の津波でもそうでした。勇気を奮って人々を助けようとした英雄的な人々がたくさん波に呑み込まれて、その尊い命を犠牲にしました。彼らこそ、気仙衆の誇りであります。「友のためなら、命も棄てる。人を大事にすることでこれに勝った行いはどんな人にもできはしない」と、イエスも断言しています。そういうことを血を吐く思いで踏まえた上で、一見矛盾する、極めて非情な「津波てんでんこ」ということわざを子孫の心に叩き込んできたのは、生き残ってこの災害から復興するための長くつらく厳しい血みどろの戦いをしなければならなかった人々の肺腑(はいふ)をえぐる思いです。―山浦玄嗣『3.11後を生きる―「なぜ」と問わない』日本基督教団出版局、2012、p.46

 人々の思いを知らずに、表面だけで捉(とら)えてしまえば、「津波てんでんこ」の教えは、現代にはびこる個人主義・自己責任論と変わりがなくなってしまいます。しかし根本にあるのは、一つの命でも多く助かってほしいという願いであり、それは一緒にこの街で生きていきたい存在として誰の命も大切だという発想でしょう。
 本日の聖書箇所で、「愚かなおとめ」は油が足りなかったがために婚宴の席に入ることができませんでした。これもまた単なる個人主義や自己責任論を超えたところに、「目を覚ましていなさい」という主の教えがあるのです。