05│2021年01月24日 降誕05 宣教の開始

週    句

人々は、東から西から、また南から北から来て、神の国で宴会の席につく。
ルカによる福音書13:29
説  教  「キリストの思い」

コリントの信徒への手紙Ⅰ 2:1~5、16

宣教の開始
イザ8:23b~9:3、ローマ1:8~17、マタイ4:12~17、詩編44:2~9。
洗礼を受けられ、弟子を招かれて神の御子としての公生涯を始められたイエスは、しかし、自分の意志だけで歩みを定められません。どこで宣教を開始されても良かったはずですが、常に神に聞き、神と共に歩まれます。それはきっと、自分にとって都合の良いところばかりではないということを知っておられたからでしょう。だから、神に従ってガリラヤに退かれ、カファルナウムに来られました。そして、「闇の中を歩む民は、大いなる光(=イエス)を見」(イザヤ9:1)との預言が成就します。
闇の中を歩むのはイスラエルだけではありません。「福音はユダヤ人をはじめ、ギリシャ人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力」(ローマ1:16)です。救いを待ち望んでいたユダヤ人だけでなく、神を信じる全ての民が救いへと招かれています。だから、選ばれた民として自分を誇るのではなく、光である神、輝きである神に立ち帰ることが求められています。
私たちには神以外に頼るものはありません。暗闇に光をもたらすのも、「我らを敵に勝たせ」(詩編44:8)るのも、全て神なしにはあり得ません。救いに値しない私たちを神は愛し、インマヌエルの神として常に共にいてくださいます。
「悔い改めよ。天の国は近づいた」(マタイ4:17)イエスの宣教とは、このような神の力に全て委ねることを教えるものです。罪から離れて神と共に生きる道。古い自分に死んで、新たないのちとして生きる道。すでにイエスはその道を先立って歩まれています。だから私たちにできることはこのイエスの言葉を聞いて、その言葉に従っていくことだけです。
そして、その喜びの知らせを全ての人々と共に分ち合うために、今度は自分の唇で語っていくのです。
「礼拝と音楽」より