週 句
主がお前に求めておられるのは、正義を行い、慈しみを愛し、神と共に歩むことである。
ミカ書6:8
主がお前に求めておられるのは、正義を行い、慈しみを愛し、神と共に歩むことである。
ミカ書6:8
説 教 「創造」
箴言8:1,22~31、黙示21:1~4,22~27、マタ10:28~33、詩編8:2~10。
主の創造の業について語られる中で、ここでの「わたし」は人格化された「知恵」を指しますが、22節以下は様々な訳の可能性がある箇所で、例えば「巧みな者」(30節)との言葉はヘブライ語の解釈が古くから分かれてきました。その一つが「乳児」「寵児」というものです(聖書協会共同訳・NRSVの注に「幼子」・little child)。神によって生み出された知恵、その知恵が神の愛を受ける者として存在し、「人の子らと共に楽しむ」と読むことができます。箴言は創造主なる神の業を描きつつ、そこに神の愛を指し示していきます。それは、すべての造られた存在に対する神の愛を証ししていると受け止めることができるでしょう。そして、ヨルダン川で洗礼を受けた際に「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と神が語りかけられた主イエスが、人間のもとに来られ、「喜び」(聖書協会共同訳より)を共にしてくださるという恵みの知らせを、私たちは受け取ることができるのではないでしょうか。
創造主の業に目を留める時、私たちは神の愛を覚えずにはいられません。「(雀の)一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている」(マタイ10:29~30)と神の業を覚え、「人間は何ものなのでしょう。人の子は何ものなのでしょう、あなたが顧みてくださるとは」(詩編8:5)と、この私も神の創造の業の中に生かされている恵みを感謝していきたいものです。
聖霊降臨節から、降誕前節に入りました。教会暦もこの日から新しい始まりを迎えていきます。降誕前節は「神の創造と救済の意味を学びながら御子誕生を迎える準備をする」期節であるとされます。その最初の第9主日は、主の創造の業を改めて思い、そこに示された豊かな愛に感謝しながら、主のご降誕を迎える備えを始めていきたいと思います。
「礼拝と音楽」より
箴言8:1,22~31、黙示21:1~4,22~27、マタ10:28~33、詩編8:2~10。
主の創造の業について語られる中で、ここでの「わたし」は人格化された「知恵」を指しますが、22節以下は様々な訳の可能性がある箇所で、例えば「巧みな者」(30節)との言葉はヘブライ語の解釈が古くから分かれてきました。その一つが「乳児」「寵児」というものです(聖書協会共同訳・NRSVの注に「幼子」・little child)。神によって生み出された知恵、その知恵が神の愛を受ける者として存在し、「人の子らと共に楽しむ」と読むことができます。箴言は創造主なる神の業を描きつつ、そこに神の愛を指し示していきます。それは、すべての造られた存在に対する神の愛を証ししていると受け止めることができるでしょう。そして、ヨルダン川で洗礼を受けた際に「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と神が語りかけられた主イエスが、人間のもとに来られ、「喜び」(聖書協会共同訳より)を共にしてくださるという恵みの知らせを、私たちは受け取ることができるのではないでしょうか。
創造主の業に目を留める時、私たちは神の愛を覚えずにはいられません。「(雀の)一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている」(マタイ10:29~30)と神の業を覚え、「人間は何ものなのでしょう。人の子は何ものなのでしょう、あなたが顧みてくださるとは」(詩編8:5)と、この私も神の創造の業の中に生かされている恵みを感謝していきたいものです。
聖霊降臨節から、降誕前節に入りました。教会暦もこの日から新しい始まりを迎えていきます。降誕前節は「神の創造と救済の意味を学びながら御子誕生を迎える準備をする」期節であるとされます。その最初の第9主日は、主の創造の業を改めて思い、そこに示された豊かな愛に感謝しながら、主のご降誕を迎える備えを始めていきたいと思います。
「礼拝と音楽」より