14│2019年03月31日 復活前3 主の変容

週    句

一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。
ヨハネによる福音書 12:24
説  教    「これに聞け」!   :梅田 環

主の変容
出34:29~35、Ⅱコリ3:4~18、ルカ9:28~36、詩29:1~11。

すると、「これは、わたしの子、選ばれた者。これに聞け」という声が雲の中から聞こえた。
ルカによる福音書 9:35

 イエスは、その宣教活動の初めから傍においていた数人の弟子たちを連れ、山に登ります。すると、服は白く輝き始め、聖書の民の歴史の中に重要内地を占めてきたモーセとエリヤが現われます。律法と預言者を象徴するこの二人は、イエスと共に、「イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期について話していた」といいますから、この出来事は、聖書の中に預言されてきたメシアが与えられ、神の救いがやがて成就するのだということを、伝えているということです。
 けれども、弟子たちは、物語の段階では、エルサレムで、何がイエスを待ち受けるのか、そして、そのことに自分がどのように反応するかということは、全く知りません。弟子たちに見えるのは、「栄光に輝くイエス」と二人の人です! それは、美しいもの、よいもの、誇るべきもの、と理解され、その「栄光の本質は理解されません。
 この一連の出来事の本当の意味が、これを経験した者によって認識されるのは、イエスが十字架で命を落としてからのことです。その喪失と絶望の出来事から、復活のイエスに出会うことによって、自分のいのちの再生を経験してからのことです。それは、分かりやすく光り輝いているイエスを見つめている時には、見出せないものでした。
 イエスがどのような方なのか、イエスのもたらす救いとはどのようなものなのか、救い主に人が期待するものがそれぞれの生の道筋において違っていて当然です。けれども、確実に言えることは、キリストであるイエスは、わたしたちの予想や期待を超えたものをもたらすということです。分かりやすくはないイエスと出会えますように!