20│2018年05月13日 復活7 キリストの昇天

週    句

わたしは地上から上げられるとき、すべての人を自分のもとへ引き寄せよう。
ヨハネによる福音書 12:32
説  教  「イエス・キリストを知る」!:梅田 環

キリストの昇天
イザ45:1~7、エフェ1:15~23、ヨハ17:1~13、詩102:13~19。

永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。
ヨハネによる福音書 17:3

 「イエスの執り成し」、また、「大祭司の祈り」とも呼ばれるイエスの祈りです。大祭司には、ユダヤ教の祭司階級の長として、人々に神の意志を伝えたり、神に捧げものをしたりして罪を贖う務めがあった。また、最高法院のメンバーであり、人を裁くこともできた。イエスを有罪とし、ピラトに引渡したのも、大祭司だった。
 しかし、聖書は「まことの大祭司」であるイエス・キリストは力を振るうのではなく、愛する者のためただ祈る方である、と語る。イエスが愛する者とは、イエスを裏切った者たちである。彼らは、イエスが苦しみの極みの中で助けを求めている時に、イエスを見捨てた。関係を絶たれたイエスは、孤独の中、死なれた。
 このイエスの姿に、人々は「所詮、人は、独りで生まれ、独りで生き、独りで死ぬ」のだ、と、絶望をもって語るかもしれない。数年前、「無縁社会」という新造語が現れた。この国では、「縁」を大切にする文化が根強かったが、近年、縁の結びつきが弱くなっているのだろう。孤独死する人も増えていると言う。人は独りで生まれ、独りで生き、独りで死ぬのだろうか。
 イエスは縁を切られ、人生の最後を孤独に過ごされ、そして、それは死をもたらすほど強い力であった。孤独は、結びつきよりも力を振るっているように見えた。しかし、神は、裏切り、切り捨て、「所詮、人は独り」という風潮に対して、「否」を突きつけ、神は孤独を望まれる方ではないことを示された。イエスは、ご自分を裏切ろうとした者を許し、その者たちと何度も出会い、その者たちのために祈る。