31│2017年07月30日 聖霊節9 異邦人の救い

週    句

あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族である。
エフェソの信徒への手紙 2:19
説  教    「憐れみの器として」   :梅田 環

異邦人の救い
創21:9~21、ロマ9:19~28、マタ8:5~13、詩102:16~23。

神はわたしたちを憐れみの器として、ユダヤ人からだけでなく、異邦人の中からも召し出してくださいました。
ローマの信徒への手紙 9:24

 使徒パウロにとっては、異邦人の救いについて語ることは、信仰理解を明確にする上で、欠かせないことでした。ここの議論は、直前の「神が憐れもうと思う者を憐れむ」という議論を受けてのものです。「だれが神の御心に逆らうことができようか」と、人間の出る幕はないという開き直りとも聞こえる議論です。
 が、パウロはこれには応えず、神と人は、創造主と被造物の関係であると語ります。神の主権を明らかにするためです。彼自身「怒りの器」であったけれども、神は寛大な心で忍ばれ、「憐れみの器」としてご計画の中へ入れてくださった、と、感謝をもって語っているのです。パウロはユダヤ人ですが、神の前には、ユダヤ人も異邦人もなくキリストと共に、神の憐れみをいただいて生きる器なのだと訴えます。
 25〜26節はホセア書の語る内容を述べています。「自分の民でない者」とは異邦人を指すということが、聞き手には明白でした。預言者ホセアの語る背信のイスラエルと異邦人とを重ねることで、イスラエル同様、異邦人も、「神の民」「神に愛された者」とされ、神の憐れみによって救われると伝えているのです。
 神は、荒れ野をさまようエジプトの女ハガルに声をかけ(創21:17)、また、イエスさまは、ローマ兵の百人隊長の懇願に応え、その僕を癒すことで、異邦人も神の招きの中にあることを示しておられます(マタ8:13)。終わりの時には、「主に仕えるために、すべての王国は集められ」る(詩102:23)のですから、その神の支配を、共に見上げて、讃美の歩みを続けようではありませんか。