週句 わたしの聖なる山においては何ものも害を加えず、滅ぼすこともない。
聖書 イザヤ11:9
聖書 イザヤ11:9
説 教 「はっきり言う。滅びない。」高橋周也
聖書 マルコ13:28~30
「決して滅びない」
2021年も残り僅か。ついにアドヴェントを迎えました。日本語では「待降節」とか「降誕前節」と表記します。主イエス・キリストの誕生を待ち望む季節であるというキリスト教会の信仰をよく捉えた表現ですが、実は語源となったアドヴェントゥス(ラテン語)の意味は、「待つ」ではなく「来る」なのです。
神の御子であるイエス様は、聖霊によってマリアから「人の子」としてお生まれになりました(=この地上に「来られた」のです)。ちょうど、私事ではありますが、自分の家に乳飲み子を迎えてみますと、改めて救い主がこの闇のような世界に赤ん坊としてお越しになったことが、どれだけ危険を冒すこと(アドヴェンチャー)であったことかと、畏れ多い心になります。
イエス様のご聖誕は、神様が天の高いところから地上のもっとも低いところへ降られた出来事でありました。それは神様ご自身が、これまでの神様としてのあり方や姿を自ら滅ぼしてしまったと言えるほど凄まじいことです。私たち人間の救いに対する主のご意思とご決断がいかに強いかは火を見るよりも明らかでしょう。
本日の箇所で言えば、イエス様は弟子たちに「はっきり言っておく・・・この時代(「この世」とも訳せる)は決して滅びない。天地は滅びる(=過ぎ去る)が、わたしの言葉は決して滅びない(=過ぎ去らない)」と仰せになりました。
「天地」。私たちが自分の生きる世界のすべてだと疑いもせずに生きているものであっても、ときに揺り動かされ、変化を免れないものです。しかし何が起ころうと、主は私たちと共にあることを諦めることをなさいません。人間の度重なる罪深い反逆に心痛みながら、それでもなおご自身のこれまでのあり方を変革してまでも、私たちと共にいてくださる主。それがイエス様の誕生をもって、クリスマスに証されたことなのです。
聖書 マルコ13:28~30
「決して滅びない」
2021年も残り僅か。ついにアドヴェントを迎えました。日本語では「待降節」とか「降誕前節」と表記します。主イエス・キリストの誕生を待ち望む季節であるというキリスト教会の信仰をよく捉えた表現ですが、実は語源となったアドヴェントゥス(ラテン語)の意味は、「待つ」ではなく「来る」なのです。
神の御子であるイエス様は、聖霊によってマリアから「人の子」としてお生まれになりました(=この地上に「来られた」のです)。ちょうど、私事ではありますが、自分の家に乳飲み子を迎えてみますと、改めて救い主がこの闇のような世界に赤ん坊としてお越しになったことが、どれだけ危険を冒すこと(アドヴェンチャー)であったことかと、畏れ多い心になります。
イエス様のご聖誕は、神様が天の高いところから地上のもっとも低いところへ降られた出来事でありました。それは神様ご自身が、これまでの神様としてのあり方や姿を自ら滅ぼしてしまったと言えるほど凄まじいことです。私たち人間の救いに対する主のご意思とご決断がいかに強いかは火を見るよりも明らかでしょう。
本日の箇所で言えば、イエス様は弟子たちに「はっきり言っておく・・・この時代(「この世」とも訳せる)は決して滅びない。天地は滅びる(=過ぎ去る)が、わたしの言葉は決して滅びない(=過ぎ去らない)」と仰せになりました。
「天地」。私たちが自分の生きる世界のすべてだと疑いもせずに生きているものであっても、ときに揺り動かされ、変化を免れないものです。しかし何が起ころうと、主は私たちと共にあることを諦めることをなさいません。人間の度重なる罪深い反逆に心痛みながら、それでもなおご自身のこれまでのあり方を変革してまでも、私たちと共にいてくださる主。それがイエス様の誕生をもって、クリスマスに証されたことなのです。