週句 見よ、わたしはお前たちの中に霊を吹き込む。すると、お前たちは生き返る。これを語り、これを行う
エゼキエル37章5節
エゼキエル37章5節
説 教 「帰っておいで」高橋牧師
エゼキエル36章25~38節
「主であるわたしが、これを語り、これを行う」
わたし(=神)はお前たちに新しい心を与え、お前たちの中に新しい霊を置く。わたしはお前たちの体から石の心を取り除き、肉の心を与える。
(エゼキエル書36章26節)
もしかすると皆さんの中にも、ここで出てくる「心」とか「霊」のことを、人間の内面や人間性の一部を表すものに限定して受け取られた方がおられるかもしれません。しかし、私たち現代日本に生きる者たちは、旧約聖書のみ言葉を読む時に注意が必要なのです。実はパウロのような新約聖書の「手紙」を書いた人々も例外ではありませんが、私たちはギリシア思想の影響を大きく受けているからです。しかし旧約聖書を読む時には、一度そこから脱却してみることも大切です。
ここでは「心」や「霊」という言葉は、人間の一部というより、むしろその全存在を表すものとして用いられています。「心」を「霊」が導きます。そうなると、人はロボットのように操られる存在になるのではなくて、神様に創られた存在として、活き活きと自由に働くようになるのです。
「肉の心」という語についても気になります。ギリシア思想では、例えば「霊肉二元論」という言葉があるように、人間の霊(内側)と肉(外側、入れ物や器のイメージ)に分けて考えます。そして往々にして、「内なるもの」は良いもの/善で、「外なるもの」はやがて滅びるものとか、汚れ/悪と考えがちです。「肉の心」と言えば、新約聖書の「ローマの信徒への手紙」を思い浮かべる方もあるかもしれません。そこでは「肉」の語は、不道徳や罪を暗示させる使い方がされています。しかしそうではなく、むしろここでの「肉」は、神様と交わりをもつ、神様の創造してくださった柔軟で血の通ったもの。あたたかみのある、よいものとして表現されています。
神様は真の牧者として、人間をご自分の民として回復し養い続けてくださいます。
エゼキエル36章25~38節
「主であるわたしが、これを語り、これを行う」
わたし(=神)はお前たちに新しい心を与え、お前たちの中に新しい霊を置く。わたしはお前たちの体から石の心を取り除き、肉の心を与える。
(エゼキエル書36章26節)
もしかすると皆さんの中にも、ここで出てくる「心」とか「霊」のことを、人間の内面や人間性の一部を表すものに限定して受け取られた方がおられるかもしれません。しかし、私たち現代日本に生きる者たちは、旧約聖書のみ言葉を読む時に注意が必要なのです。実はパウロのような新約聖書の「手紙」を書いた人々も例外ではありませんが、私たちはギリシア思想の影響を大きく受けているからです。しかし旧約聖書を読む時には、一度そこから脱却してみることも大切です。
ここでは「心」や「霊」という言葉は、人間の一部というより、むしろその全存在を表すものとして用いられています。「心」を「霊」が導きます。そうなると、人はロボットのように操られる存在になるのではなくて、神様に創られた存在として、活き活きと自由に働くようになるのです。
「肉の心」という語についても気になります。ギリシア思想では、例えば「霊肉二元論」という言葉があるように、人間の霊(内側)と肉(外側、入れ物や器のイメージ)に分けて考えます。そして往々にして、「内なるもの」は良いもの/善で、「外なるもの」はやがて滅びるものとか、汚れ/悪と考えがちです。「肉の心」と言えば、新約聖書の「ローマの信徒への手紙」を思い浮かべる方もあるかもしれません。そこでは「肉」の語は、不道徳や罪を暗示させる使い方がされています。しかしそうではなく、むしろここでの「肉」は、神様と交わりをもつ、神様の創造してくださった柔軟で血の通ったもの。あたたかみのある、よいものとして表現されています。
神様は真の牧者として、人間をご自分の民として回復し養い続けてくださいます。