週 句
彼は傷ついた葦を折ることなく、暗くなっていく灯心を消すこともない。
イザヤ書 42:3
彼は傷ついた葦を折ることなく、暗くなっていく灯心を消すこともない。
イザヤ書 42:3
説 教 「弱い人を受け入れなさい」 :梅田 環
正しい服従
出23:10~13、ロマ14:1~9、ルカ14:1~6、詩92:2~16。
信仰の弱い人を受け入れなさい。その考えを批判してはなりません。
ローマの信徒への手紙 14:1
ここに言う「信仰の弱い人」とは、肉食を断つことで、神に対して誠実に向き合うことができる、と考えている人のようです。それは従来習い行なって来た宗教行為であったかもしれません。しかし、キリスト・イエスの十字架と復活のゆえに、「罪は、もはや、あなたがたを支配することはない」(ロマ6:14)と教えるパウロによれば、そのような伝統的に正しい信仰の応答の姿と考えられたものは、もはや意味のない行為なのです。そこで、パウロは、十字架の福音の与える自由を生きることができない者を「信仰の弱い人」と呼びます。
ここで、問題になるのは、そのように、何を食べるか何を食べないかというような点において、人を軽蔑したり、裁いたりすることが、教会の中におこっていたことでした。
パウロは「各自が、自分の心の確信に基づいて決めるべきこと」という言葉によって、この対立を収めようとします。それは、日常生活での振る舞いは、個人の選択・決断が重要であるということより、むしろ、他者の日常生活における振る舞いについて言及することが意味のないことであると、パウロが考えていることを示しています。
パウロにとって、重要なのは、自由に生きる者も、自由に生きることができない者も、そのひとり一人が「生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬ」といういのちを生きているのか、ということです。それぞれが個人の決断として「主のもの」として生きているか。そのような生き方こそが神への服従であり、それには、定型的なものは存在しません。それぞれの模索へとパウロは招く。
正しい服従
出23:10~13、ロマ14:1~9、ルカ14:1~6、詩92:2~16。
信仰の弱い人を受け入れなさい。その考えを批判してはなりません。
ローマの信徒への手紙 14:1
ここに言う「信仰の弱い人」とは、肉食を断つことで、神に対して誠実に向き合うことができる、と考えている人のようです。それは従来習い行なって来た宗教行為であったかもしれません。しかし、キリスト・イエスの十字架と復活のゆえに、「罪は、もはや、あなたがたを支配することはない」(ロマ6:14)と教えるパウロによれば、そのような伝統的に正しい信仰の応答の姿と考えられたものは、もはや意味のない行為なのです。そこで、パウロは、十字架の福音の与える自由を生きることができない者を「信仰の弱い人」と呼びます。
ここで、問題になるのは、そのように、何を食べるか何を食べないかというような点において、人を軽蔑したり、裁いたりすることが、教会の中におこっていたことでした。
パウロは「各自が、自分の心の確信に基づいて決めるべきこと」という言葉によって、この対立を収めようとします。それは、日常生活での振る舞いは、個人の選択・決断が重要であるということより、むしろ、他者の日常生活における振る舞いについて言及することが意味のないことであると、パウロが考えていることを示しています。
パウロにとって、重要なのは、自由に生きる者も、自由に生きることができない者も、そのひとり一人が「生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬ」といういのちを生きているのか、ということです。それぞれが個人の決断として「主のもの」として生きているか。そのような生き方こそが神への服従であり、それには、定型的なものは存在しません。それぞれの模索へとパウロは招く。