週 句
あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは神の賜物です。
エフェソの信徒への手紙 2:8
あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは神の賜物です。
エフェソの信徒への手紙 2:8
説 教 「まだ生きている」 :梅田 環
生命の回復
エレ38:1~13、使20:7~12、ルカ7:11~17、詩35:1~10。
パウロは降りて行き、彼の上にかがみ込み、抱きかかえて言った。「騒ぐな。まだ生きている。」
使徒言行録 20:10
使徒言行録には、パウロのなしたことが、一人称で伝えられる資料があります。その中に、「わたしたちがパンを裂くために集まっていた」トロアスの教会において、パウロが若者を死から取り返す話が伝えられています。通常、人間が、抗うことのできない力の前に敗北し、涙を流すしかない時に、なおそうではないところに、パウロは立ち、人々にそのパウロと同じものを見上げ、求めさせた、ということを伝えています。
パウロの訪ねた集会で悲劇的な事故が起こります。パウロの長い話の間に眠ってしまい、3階の窓から落下した若者は「死んでいた」と伝えられる状態に陥ります。この取り戻すことのできない喪失に対して、しかし、パウロは、この若者を抱きかかえて、言いました。「まだ生きている」。
このパウロの言葉は、あきらめること、放棄することから、人間の視点を転じさせるものです。抗うことのできない力の前に敗北することを、決して受け入れさせないパウロの言葉によって、そこにいた人々はいのちを見ることへと、目を向けさせられます。そして、「まだ生きている」者を受け取り、「大いに慰め」られることになりました。
そして、それは、パウロだけが持っている力というより、教会の宣教が持っている力である、と聖書は考えています。だからこそ、パウロは、中断された「話」を再開するにあたり、「パンを裂いて食べ」るのであり、そのような慰めはキリストの名によって集められる共同体の通常の礼拝行為において起こるものであることが分かるのです。
生命の回復
エレ38:1~13、使20:7~12、ルカ7:11~17、詩35:1~10。
パウロは降りて行き、彼の上にかがみ込み、抱きかかえて言った。「騒ぐな。まだ生きている。」
使徒言行録 20:10
使徒言行録には、パウロのなしたことが、一人称で伝えられる資料があります。その中に、「わたしたちがパンを裂くために集まっていた」トロアスの教会において、パウロが若者を死から取り返す話が伝えられています。通常、人間が、抗うことのできない力の前に敗北し、涙を流すしかない時に、なおそうではないところに、パウロは立ち、人々にそのパウロと同じものを見上げ、求めさせた、ということを伝えています。
パウロの訪ねた集会で悲劇的な事故が起こります。パウロの長い話の間に眠ってしまい、3階の窓から落下した若者は「死んでいた」と伝えられる状態に陥ります。この取り戻すことのできない喪失に対して、しかし、パウロは、この若者を抱きかかえて、言いました。「まだ生きている」。
このパウロの言葉は、あきらめること、放棄することから、人間の視点を転じさせるものです。抗うことのできない力の前に敗北することを、決して受け入れさせないパウロの言葉によって、そこにいた人々はいのちを見ることへと、目を向けさせられます。そして、「まだ生きている」者を受け取り、「大いに慰め」られることになりました。
そして、それは、パウロだけが持っている力というより、教会の宣教が持っている力である、と聖書は考えています。だからこそ、パウロは、中断された「話」を再開するにあたり、「パンを裂いて食べ」るのであり、そのような慰めはキリストの名によって集められる共同体の通常の礼拝行為において起こるものであることが分かるのです。