週 句
闇が去って、既にまことの光が輝いている。
ヨハネの手紙 一 2:8b
闇が去って、既にまことの光が輝いている。
ヨハネの手紙 一 2:8b
説 教 「声が天から聞こえた」:梅田 環
イエスのバプテスマ
ヨシュ3:1~17、使10:34~48a、ルカ3:15~22、詩104:24~30。
……すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。
ルカによる福音書 3:22b
バプテスマのヨハネは、同時代の人々にとって、不安の時代に進むべき指針を示してくれる人物として映っており、人によっては「もしかして、彼がメシアか?」と思っていました。けれども、ヨハネ自身はそれを否定し、水でバプテスマを行う自分は、聖霊と火でバプテスマを授ける「来るべき者」に並ぶことはできない、と言いました。
ヨハネは、自分が何に従っているのかを、知っていました。ヨハネは、より大きな神の意志・より明確な神の意志の前に、自分を従わせることを知っていたのです。やがて、ヨハネのもとに、イエスがやって来ますが、そこでは、イエス自身の口を通して、イエスが何者であるかが語られることはありません。ただ、外から観察されたこととして、イエスのバプテスマに際して、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が天から届いたことが伝えられます。イエスも、また、ヨハネの理解がどのようなものであり、また、周りの受け止めかたがどのようなものであるとしても、より大きな神の意志に自分を従わせるものとして登場するのです。
神の意志に自分を従わせたヨハネの生涯は、彼がその過ちに直目するようにと迫った領主へロデとの対立により、投獄と死をもって結ばれます。
バプテスマによって、読者(民衆/わたしたち)の前に姿を表すイエスは、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という言葉をどのように聞く(生きる)のか、福音書を読む者は、イエスに備えられている十字架への道を思い起こすことになります。
イエスのバプテスマ
ヨシュ3:1~17、使10:34~48a、ルカ3:15~22、詩104:24~30。
……すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。
ルカによる福音書 3:22b
バプテスマのヨハネは、同時代の人々にとって、不安の時代に進むべき指針を示してくれる人物として映っており、人によっては「もしかして、彼がメシアか?」と思っていました。けれども、ヨハネ自身はそれを否定し、水でバプテスマを行う自分は、聖霊と火でバプテスマを授ける「来るべき者」に並ぶことはできない、と言いました。
ヨハネは、自分が何に従っているのかを、知っていました。ヨハネは、より大きな神の意志・より明確な神の意志の前に、自分を従わせることを知っていたのです。やがて、ヨハネのもとに、イエスがやって来ますが、そこでは、イエス自身の口を通して、イエスが何者であるかが語られることはありません。ただ、外から観察されたこととして、イエスのバプテスマに際して、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が天から届いたことが伝えられます。イエスも、また、ヨハネの理解がどのようなものであり、また、周りの受け止めかたがどのようなものであるとしても、より大きな神の意志に自分を従わせるものとして登場するのです。
神の意志に自分を従わせたヨハネの生涯は、彼がその過ちに直目するようにと迫った領主へロデとの対立により、投獄と死をもって結ばれます。
バプテスマによって、読者(民衆/わたしたち)の前に姿を表すイエスは、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という言葉をどのように聞く(生きる)のか、福音書を読む者は、イエスに備えられている十字架への道を思い起こすことになります。