39│2017年09月24日 聖霊節17 隣人

週    句

思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神があなたがたのことを心にかけていてくださいます。
ペトロの手紙 一 5:7
説  教  「いずれは裁かれる者として」:梅田 環

隣   人
創45:1~15、ヤコ2:8~13、マタ18:21~35、詩15:1~5。

自由をもたらす律法によっていずれは裁かれる者として、語り、また、ふるまいなさい。
ヤコブの手紙 2:12

 信仰義認が誤解され、行いが軽視される傾向を正すために、ヤコブの手紙は書かれたそうです。イエスさまは「わたしの軛は負いやすい」「わたしに学びなさい」(マタ11:29~30)と言われ、主を信じる信仰ゆえに、律法を重んじることを教えられました。ヤコブは、完全な律法とはキリストの律法で、それこそがわたしたちを律法奴隷から解放する「自由をもたらす律法」(ヤコ2:12)と見、信仰者の行動の基盤としたのです。律法に思いを馳せるだけでなく、み言葉を聞いて行うことが、神の祝福に留まることであると見ていました。
 ここでは、隣人愛の戒め(レビ19:18)を引用し、人を分け隔てすることのないようにと勧めます。教会内で身なりによる差別があったためで(ヤコ2:3)、一方の律法を守っても他方を守らないならば、律法違反となることを、11節の例をもって語りました。律法を漏れなく守れと言うのではなく、「神と人とを愛せよ」と言う律法の基を大切にしようとしているのでしょう。異言を語ろうとも、知識に通じようとも、「愛がなければ、無に等しい」(Ⅰコリ13:1~3)と言ったパウロの理解に通じます。
 わたしたちは1万タラントンを帳消しにしてもらいながら、百デナリオンを取り立てるという間違いを犯すのですが(マタ18:28)、最後の審判によって「いずれは裁かれる者」(ヤコ2:12)として、悔い改めつつ、主の教えに留まりたいと思います。
 隣人を憐れむことで、わたしを憐れむキリストをわたしたちは知ります。そのキリストの憐れみこそが、裁きの中に立ちうる盾です。