02│2021年01月03日 降誕02 エジプト避難

週    句

私たちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。
ヨハネによる福音書1:14b
説  教  「放ってはおけないパウロ」 

エレミヤ31:15~17、Ⅱコリ1:3~11、マタイ2:13~23、詩編70:2~6。

「『ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。』これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も見な同様であった」(マタイ2:2~3)
イエスの誕生は救いの希望であると同時に、恐れを引き起こしました。幼子を抱えた家族もその混乱の中に投げ込まれます。しかし、彼らは知っています。「あなたはわたしの助け、わたしの逃れ場」(詩編70:6)。どのような状況であろうとも神以外に助けはないということを。
ヨセフは「救われた」から信じるのではありません。「あなたの苦しみは報われる」「あなたの未来には希望がある」(エレミヤ31:16~17)という神の言葉を聞き、信じているのです。だからヨセフは、「これからも救ってくださるにちがいないと、わたしたちは神に希望をかけ」(Ⅱコリント1:10)ることができたのでしょう。
すると、ヨセフの夢を通して神の声が聞こえます。「エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい」(マタイ2:13)。そしてヘロデが死ぬと再び夢を通して神の声が聞こえます。「起きて、子供とその母を連れ、イスラエルの地に行きなさい」(2:20)。いずれも「ヨセフが聞きたかった声」ではなく、「その時に必要だった声」です。
神の声は「聞こうとしている時」に聞こえてきます。しかも、自分の思いも寄らない方法も含めて、ありとあらゆる方法で聞こえてきます。だから、いつも耳をそばだてて、しっかりと聞かねばなりません。いつも「聞く」姿勢を整えていなければなりません。その積み重ねこそが苦難の備えとなり、「これからも救ってくださるにちがいない」という希望になるのです。
「礼拝と音楽」より