01│2021年01月01日 降誕節 命名日

週    句

イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です。
ヘブライ人への手紙13:8
説  教  「キリストの降誕」

イザヤ9:1,5~6、Ⅰヨハネ4:7~14、ヨハネ1:1~14、詩編29:1~11。

「神は、独り子を世にお遣わしになりました」。救い主イエスの誕生は、神が私たちを愛しておられるしるしです。(Ⅰヨハ4:9)。
自分を取り巻く現実が「暗闇だ」と自覚している人もあるでしょうが、多くは「暗闇とまでは言えない」と思っています。一方、「光の中を歩んでいる」と自信を持っている人も多くはないでしょう。
何となく重い空気がのしかかっている、それが私たちの現実ではないでしょうか。神を神ともしない現実。信仰を持つことを弱さの象徴と捉える現実。その中にあって、神と共に歩むことの苦しさを感じています。時にそれは、神への躓き、信仰への躓きとなることさえあります。
2000年前の現実もまた同様であったのではないでしょうか。漠然とした不安と自己満足に囲まれ、閉塞感に包まれていた中に、神は独り子を遣わされました。その誕生によって、たちどころに世界は変わることはありませんでした。それをわかっていながらもなお、神は私たちを愛して、「わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました」(Ⅰヨハ4:10)。神を神ともしない現実を見捨てることなく、もう一度光の下へと引き上げられるのです。漠然として暗闇の中にいる一人ひとりに光を示されるのです。
「闇の中を歩む民は、大いなる光を見」(イザヤ9:1)ました。「その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照ら」(ヨハネ1:9)します。今、私たちにもその光が示されました。私たちにできることは「御名の栄光を主に帰」(詩編29:2)すること、自分ではなく神を誇ることだけです。神に感謝して平和の道を歩みだすのみです。
その道は茨の道かもしれません。しかし、インマヌエルの神がいつも共におられます。神の愛はすでに私たちに示されています。その愛に応えて今、一歩を踏み出しましょう。
「礼拝と音楽」より