47│2020年11月15日 降誕前節6 救いの約束(モーセ)

週    句

わたしたちは皆、キリストの裁きの座の前に立たなければなりません。
コリントの信徒への手紙Ⅱ 5:10
説  教  「三つの ありがとう」 佐野静樹

申命記18:15~22、使徒3:11~26、マタイ5:38~48、詩編77:17~22。

申命記に記される「律法」のまとまりの中で、「わたし(=モーセ)のような預言者」が立てられるとの約束が描かれます。イスラエルの民(16節の「わたし」)が求めたことを神が受け止められ、「彼らの言うことはもっともである」と、その求めへの応答として与えられるのが預言者であると言います。旧約の時代、神によって召し出された有名・無名の預言者たちは、人の罪が渦巻く現実に対して厳しく戒める言葉を語り、神に従い行く歩みへ立ち帰るように強く促しました。そして人々が苦難のどん底に落とされている現実の中で、主にある慰めと励まし、希望を告げ知らせていきました。
主イエスの復活と昇天、聖霊降臨の出来事を経た後、ペトロは神殿で説教を語ります。イエスの名を信じる信仰が一人の足の不自由であった人を癒したという宣言がなされますが、その中でペトロは今日の申命記の箇所を引用していきます。そして、神が与えられる預言者として、主イエスがこの世に与えられたと教えます。
申命記において預言者が語る預言が真のものか偽りのものであるかの判断基準はそのことが実現したか、実現しないかであると言われます。モーセの時代から時を経てこの世に与えられた主イエスが語られる言葉は真実のものであり、「地上のすべての民族は、あなたから生まれる者によって祝福を受ける」(使徒言行録3:25)との言葉が実現するため、すべての人が神の恵みと祝福に与るための救いの言葉であることが証しされています。
私たちを励まし、慰め、歩むべき道へと導いてくださり、一人一人を救いと祝福のうちに生かしてくださる言葉を語ってくださる方がおいでくださる。その希望を携えながら、日々「愛と真理の主の物語」「世の罪を除く主のみことば」に聞きながら、主のご降誕への備えの日々を過ごしていきたいと思います。
「礼拝と音楽」より