週 句
世に打ち勝つ勝利、それはわたしたちの信仰です。
ヨハネの手紙一 5:4
世に打ち勝つ勝利、それはわたしたちの信仰です。
ヨハネの手紙一 5:4
説 教 「神の富と知恵」
箴言3:13~20、ロマ11:33~36、ヨハ10:31~42、詩編139:1~10。
パウロは「ああ、神の富と知恵と知識の何と深いことか』(11:33)と感嘆し、人間が究め尽くすことのできない、人知を超えた神の救いを褒め讃えます。
聖書は人間の思いも寄らないような形で、神の偉大なみ業について証しをします。そのすべてをここで数え上げることはできませんが、一見神の計画が妨げられているような出来事の中においても神のみ業は進められていきます。「神はすべての人を不従順の状態に閉じ込められましたが、それは、全ての人を憐れむためだったのです」(32節)との、逆説的な表現がそれを端的に表していると言えるでしょう。主イエスはご自身を石で打ち殺されそうになった場面においても神の業について証しをし、そしてイエスを信じなくても神の業を信じなさいと教えます(ヨハネ10:38)。そのような神の業が究極の形としてあらわされているのが主イエスの十字架と復活の出来事であります。
パウロは11章で神の救いの業について「秘められた計画(ミュステーリオン)」(25節)との言葉で表現します。ミステリーの語源であるこの言葉は、「言葉によって言い表すことができない」という意味を持っているそうです。人間は神の業のすべてを理解し、また説明することはできず、神の救いの業とはそれほどに深く、まさにパウロが「何と深いことか」と言う通りです。あらゆることを知ろうとし、理解しようとする私たちですが、全てを知るのではなく、むしろ人間がすべてを知ることはできないことを知ることが必要なのだろうと思います。そのことを知ることによって、たとえ神の不在を感じずにはいられないような境遇に直面したとしても、何によっても揺らぐことのない神の救いに心を向けていくことができるのではないでしょうか。そして日々「栄光が神に永遠にありますように」(36節)との賛美の声を上げることができるのではないでしょうか。
「礼拝と音楽」より
箴言3:13~20、ロマ11:33~36、ヨハ10:31~42、詩編139:1~10。
パウロは「ああ、神の富と知恵と知識の何と深いことか』(11:33)と感嘆し、人間が究め尽くすことのできない、人知を超えた神の救いを褒め讃えます。
聖書は人間の思いも寄らないような形で、神の偉大なみ業について証しをします。そのすべてをここで数え上げることはできませんが、一見神の計画が妨げられているような出来事の中においても神のみ業は進められていきます。「神はすべての人を不従順の状態に閉じ込められましたが、それは、全ての人を憐れむためだったのです」(32節)との、逆説的な表現がそれを端的に表していると言えるでしょう。主イエスはご自身を石で打ち殺されそうになった場面においても神の業について証しをし、そしてイエスを信じなくても神の業を信じなさいと教えます(ヨハネ10:38)。そのような神の業が究極の形としてあらわされているのが主イエスの十字架と復活の出来事であります。
パウロは11章で神の救いの業について「秘められた計画(ミュステーリオン)」(25節)との言葉で表現します。ミステリーの語源であるこの言葉は、「言葉によって言い表すことができない」という意味を持っているそうです。人間は神の業のすべてを理解し、また説明することはできず、神の救いの業とはそれほどに深く、まさにパウロが「何と深いことか」と言う通りです。あらゆることを知ろうとし、理解しようとする私たちですが、全てを知るのではなく、むしろ人間がすべてを知ることはできないことを知ることが必要なのだろうと思います。そのことを知ることによって、たとえ神の不在を感じずにはいられないような境遇に直面したとしても、何によっても揺らぐことのない神の救いに心を向けていくことができるのではないでしょうか。そして日々「栄光が神に永遠にありますように」(36節)との賛美の声を上げることができるのではないでしょうか。
「礼拝と音楽」より