週 句
疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。
マタイによる福音書11:28
疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。
マタイによる福音書11:28
説 教 「信仰の道」
ハバクク2:1~4、Ⅰヨハ2:22~29、ヨハ3:22~36、詩篇16:7~11。
「アンチエイジング」、「アンチコメント」等々、「アンチ?」という言葉を私たちは頻繁に耳にします。ロックの歴史にその名を残すパンクバンドの代表曲の歌詞がこの語から始まることを思い出しますが、「反キリスト」と訳されたアンティ・クリストス、ヨハネの手紙にのみ僅かな回数登場するだけの単語で、新約の中で広く用いられる言葉ではありません。しかし、それに類する表現は他にいくつもあり、当時の教会の中で「異端」的存在と対峙することが重要な問題であったことを窺うことができます。教会の「内」対「外」だけでなく、教会の内部の争いも深刻な影を落としていたことを想像するものです。
しかし、それにしてもなんと厳しい言葉が並ぶ箇所なのでしょうか。このような言葉を今、わたしたちがどのように受け止めるかが問われるわけですが、対立構造を強調する、あるいは異なる存在を排除するために用いるような読み方には賛同できません。
我こそは正当であって、異なる者は異端であり排除すべしというような感覚は、時に危険なものとなります。むしろ正しさとは何か、自分はどうあるのかということを「正統」対「異端」という意図を見出しうる箇所から問うてみたいと思わずにはいれません。牧師になりたての頃、大先輩から「自分は間違っているかもしれないと留保することが、特に真理に関する問題に対して向き合う真摯な姿だ」と教えられたことを思い出します。
ヨハネの手紙は「御子の内にとどまりなさい」と私たちに勧めます。この言葉を真に神と主イエスに従って生きるようにとの招きとして受け止める者です。神の前にへりくだり、打ち砕かれつつ謙虚なものとされ、多様な出会いの中で互いに受け入れ合い、認め合って生きる。この時代、信仰者が今一度心して受け止め、そこへと踏み出していくことが求められる歩みがここにあるのではないでしょうか。
「礼拝と音楽」より
ハバクク2:1~4、Ⅰヨハ2:22~29、ヨハ3:22~36、詩篇16:7~11。
「アンチエイジング」、「アンチコメント」等々、「アンチ?」という言葉を私たちは頻繁に耳にします。ロックの歴史にその名を残すパンクバンドの代表曲の歌詞がこの語から始まることを思い出しますが、「反キリスト」と訳されたアンティ・クリストス、ヨハネの手紙にのみ僅かな回数登場するだけの単語で、新約の中で広く用いられる言葉ではありません。しかし、それに類する表現は他にいくつもあり、当時の教会の中で「異端」的存在と対峙することが重要な問題であったことを窺うことができます。教会の「内」対「外」だけでなく、教会の内部の争いも深刻な影を落としていたことを想像するものです。
しかし、それにしてもなんと厳しい言葉が並ぶ箇所なのでしょうか。このような言葉を今、わたしたちがどのように受け止めるかが問われるわけですが、対立構造を強調する、あるいは異なる存在を排除するために用いるような読み方には賛同できません。
我こそは正当であって、異なる者は異端であり排除すべしというような感覚は、時に危険なものとなります。むしろ正しさとは何か、自分はどうあるのかということを「正統」対「異端」という意図を見出しうる箇所から問うてみたいと思わずにはいれません。牧師になりたての頃、大先輩から「自分は間違っているかもしれないと留保することが、特に真理に関する問題に対して向き合う真摯な姿だ」と教えられたことを思い出します。
ヨハネの手紙は「御子の内にとどまりなさい」と私たちに勧めます。この言葉を真に神と主イエスに従って生きるようにとの招きとして受け止める者です。神の前にへりくだり、打ち砕かれつつ謙虚なものとされ、多様な出会いの中で互いに受け入れ合い、認め合って生きる。この時代、信仰者が今一度心して受け止め、そこへと踏み出していくことが求められる歩みがここにあるのではないでしょうか。
「礼拝と音楽」より