週 句
わたしたちは、その栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。
ヨハネによる福音書 1:14b
わたしたちは、その栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。
ヨハネによる福音書 1:14b
説 教 「言はわたしたちの間に」:梅田 環
受肉の秘義
イザ40:25~31、コロ1:1~14、ヨハ1:14~18、詩103:6~13。
言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。
ヨハネによる福音書 1:14
「目を高く上げ、誰が天の万象を創造したかを見よ」とイザヤは語ります。〈森羅万象〉という言葉について、広辞苑では、次のように説明します。「宇宙空間に存在する数限りない一切のものごと。万有」、「日葡『デウスシンラマンゾウヲツクリタマウ』」(第5版)。森羅万象にについて、人間は担当することはできません。イザヤ書の預言の言葉は、「光あれ」との言葉をもって世界を創られた創造主なる神の姿を明らかにしながら、その神のみ業に思いを寄せさせます。
苦しみに直面し、「道が主に隠されている、裁きが神に忘れられた」と嘆く民に対し、創造主なる神は倦むこと、疲れることのない方として、「疲れた者に力を与え、勢いを失っている者に大きな力を与えられる」のです。人間には究め難い叡智をもって、人間に働きかけられる神の業が高らかに宣言されます。
ヨハネ福音書1:14以下で繰り返される「恵み」という言葉(ヨハネ福音書においてここでのみ登場)は、「身を低くすること」や、「感謝」、さらには、「優雅さ」や、「美しさ」を意味します。これは、誰かに強制されるものではなく、自由なものです。神の側から、人間の資格などを問わずに、一方的、かつ、無償で与えられるもの、つまり、神の愛として、わたしたちに示されるものです。
この世界を造りたもう神は、愛をもって、わたしたちを生かし、不断に、わたしたちに対して働きかけられます。この神の愛としての恵みが、主イエス・キリストにおいてわたしたちに表されるのです。
受肉の秘義
イザ40:25~31、コロ1:1~14、ヨハ1:14~18、詩103:6~13。
言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。
ヨハネによる福音書 1:14
「目を高く上げ、誰が天の万象を創造したかを見よ」とイザヤは語ります。〈森羅万象〉という言葉について、広辞苑では、次のように説明します。「宇宙空間に存在する数限りない一切のものごと。万有」、「日葡『デウスシンラマンゾウヲツクリタマウ』」(第5版)。森羅万象にについて、人間は担当することはできません。イザヤ書の預言の言葉は、「光あれ」との言葉をもって世界を創られた創造主なる神の姿を明らかにしながら、その神のみ業に思いを寄せさせます。
苦しみに直面し、「道が主に隠されている、裁きが神に忘れられた」と嘆く民に対し、創造主なる神は倦むこと、疲れることのない方として、「疲れた者に力を与え、勢いを失っている者に大きな力を与えられる」のです。人間には究め難い叡智をもって、人間に働きかけられる神の業が高らかに宣言されます。
ヨハネ福音書1:14以下で繰り返される「恵み」という言葉(ヨハネ福音書においてここでのみ登場)は、「身を低くすること」や、「感謝」、さらには、「優雅さ」や、「美しさ」を意味します。これは、誰かに強制されるものではなく、自由なものです。神の側から、人間の資格などを問わずに、一方的、かつ、無償で与えられるもの、つまり、神の愛として、わたしたちに示されるものです。
この世界を造りたもう神は、愛をもって、わたしたちを生かし、不断に、わたしたちに対して働きかけられます。この神の愛としての恵みが、主イエス・キリストにおいてわたしたちに表されるのです。