51│2019年12月15日 降誕前2 先 駆 者

週    句

主のために、荒れ野に道を備えよ。見よ、主なる神は力を帯びて来られる。
イザヤ書 40:3、10
説  教    「義の太陽が昇る」     :梅田 環

先 駆 者
マラ3:19~24、Ⅰコリ4:1~5、ヨハ1:19~28、詩19:8~15。

しかし、わが名を畏れ敬うあなたたちには/義の太陽が昇る。/その翼にはいやす力がある。/あなたたちは牛舎の子牛のように/躍り出て跳び回る。
マラキ書 3:20

 聖書の民の経験と、今日のわたしたちが経験することは、全く同じではありませんが、ある時は重大な出来事、またある時は、それほど大きなこととは思われないかもしれない出来事を通して、わたしたちも信仰が揺らぐということに直面します。
 聖書に記されたいにしえの信仰者たちの問い掛け、心からの叫びや呻きはわたしたちの姿でもあり、わたしたちはさまざまな揺らぎの中に身をおきながら生きる者であると自覚させられるものです。これこそが「正しい」とか、これこそが「強い」とか、そういう認識の中に、わたしたちの危うさが潜んでいるのかもしれません。
 マラキ書の言葉は、その最後の部分で、神の救いのみ業を告げます。「義の太陽が昇る」!(3:20)。この光に照らされ、牛舎の子牛が躍り出て飛び回るイメージは、さまざまな揺らぎと迷いの中にある人々に対して、神は見捨てることなく救いの恵みを与えられることを宣言します。そして、「教え(トーラー)を思い起こせ」と命じられます。これは、ただ過去を思い起こせということではなく、神から与えられた教えを受け、それに根ざして生きよ、という促しのメッセージとして受けとめるべきでしょう。
 揺らぎ、惑い、迷う者を、神は見捨てず、愛される! その神の愛の現れとして、この世に与えられた主イエスの降誕を待ち望み、それぞれに神に従い、神と共に歩む姿を整えたい。それが主イエスを心の内にお迎えする備えとなるのではないでしょうか。