46│2019年11月10日 降誕前7 神の民の選び/アブラハム

週    句

今や、恵みの時、今こそ、救いの日。
コリントの信徒への手紙 二 6:2
説  教    「父の家を離れて」 :梅田 環

神の民の選び/アブラハム
創12:1~9、ロマ4:13~25、ヨハ8:51~59、詩105:7~15。

主はアブラム(後のアブラハム)に言われた。「あなたは生まれ故郷父の家を離れてわたしの示す地にいきなさい。……
創世記 12:1

 アブラムに与えられる神の言葉は、故郷を離れることでした。その理由として、神が圧倒的に主導する形で、祝福が与えられるとの約束が告げられます。そこでは、「わたしはあなたを大いなる国民にし」わたしはあなたを祝福し」「あなたを呪う者をわたしは呪う」と、「あなた」に対して特別な関わりを持とうとする「わたし」として、神は行動します。それに対する応答として、アブラムは旅立ちます。アブラム個人の心の内面については、いかなる描写もなされていません。
 そして、「わたしが示す地」はカナンであることがやがて伝えられますが、そこには先住民がいたのです。そのような土地を、いまだ存在していない「子孫」に対して約束する。アブラムに対して声をかけ、連れ出した神の計画は、初めから破綻しています。何のために、神は、アブラムに現れ、「大いなる国民にし」「祝福する」というのか、この時点では、明らかにはなりません。全ては、先行き不透明です。
 それなのに、さらに移動を続けるアブラムは、その先で「主の御名を呼んだ」といいます。それは、信ずる可能性、また、手に入れること確実性などが失われる時に、それでもなお、神を礼拝することが、アブラムには与えられたことを示しています。神の選びの幸いはそこにこそあるのです。それは、決して、土地の占有権を主張して殺戮を行うことで得られるものではありません。
 創世記がアブラムを通じて伝える選びの幸いは、神に出会わされ、動かされ先行き不透明なところになお、そこに呼ばわる対象を与えられることです。