27│2019年06月30日 聖霊4 キリストを信任する教会


週    句

疲れた者、重荷を負う者は、誰でも、わたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。
マタイによる福音書 11:28
説  教  「この方こそ『隅の親石』」 :梅田 環

キリストを信任する教会
申8:11~20、使4:5~12、ルカ8:40~56、詩52:3~11。

この方こそ、/『あなたがた家を建てる者に捨てられたが、/隅の親石となった石』/です。
使徒言行録 4:11

 ペトロは、言葉で、イエスがキリストであることを証しするのみならず、その行いでも、キリストの力を証ししていたと、使徒言行録は伝えます(使徒3:6)。その癒しの出来事を目の当たりにしたエルサレム神殿の運営に関わる人々は、「だれの名によって」そんなことをしたのか、とペトロとヨハネに問いただしました。
 「ナザレ人、イエス・キリストの名による」癒しは、かつてイエス自身が行った癒しとは異なるものです。それは、イエス・キリストが、自分、そして、自分が出会っている人との間で、絶対的な力を有していると信じ、告白する者の存在がなければ、成り立たないものです。イエスが癒しを行う時には、イエスの上に、神の力が働いていました。けれども、イエスが不在のところで起こる奇跡はイエス・キリストを信じる存在にのみ働く力によるものです。
 ペトロが「あなたがた家を建てる者に捨てられたが、隅の親石になった」と言うとき、この言葉は「信じないもの」との断絶を意識させるものです。「あなたがた」は理解しないで、それを捨てる、ということをはっきり言っているからです。けれども、続けて、ペトロは、「他の誰によっても救いは得られません」と、その断絶を乗り越えて、「あなたがた」をこちらがわ、すなわち、イエス・キリストを信じる存在になることへと招きます。
 「わたしたちが救われるべき名」は、人の存在を回復し、回復を経験した者に、また他者を招くことへと向かわせるような力をもたらすものです。