08│2019年02月17日 降誕8 教えるキリスト

週    句

わたしたちは、あなたの深い憐れみのゆえに、伏して、嘆願の祈りをささげます。
ダニエル書 9:18
説  教   「あなたは幸いだ」 :大竹敏生

教えるキリスト
箴3:1~8、Ⅰコリ4:8~16、ルカ8:4~15、詩147:1~11。

イエスはこのように話して、「聞く耳のある者は聞きなさい」と大声で言われた。
ルカによる福音書 8:8b

 この譬えは、もともとは、種を蒔くこととその結果についての単純な教えだったそうです。種を蒔くと、蒔いた種は、様々な場所に落ちて、芽が出たり出なかったり、場合によっては、予想外の収穫ができたり……。要約すれば、そういうお話し。それは、種蒔きという行為を知っている人々にとっては、耳新しいものではありません。
 で、当然、人々は混乱し、「このたとえはどのような意味かと尋ね」ました。種とは神の言葉であり、土地は人のありようです。神の言葉は多様な人々によって聞かれ、受け入れられたり、受け入れられなかったりするものです。場合によっては、よい土地に落ちることもあるものだ、とイエスは説明されました。
 このたとえは、初代教会の中で大切に受け継がれ、教えられて来ました。なぜなら、イエスは、単に、農業における常識を語ったわけではなかったからです。また、その解釈も、単に、道徳的向上を勧める言葉ではなかったからです。それは、「神の国の秘密」について語っているものであり、だからこそ、教会はそれを大切に伝えたのです。
 神の国は、種を蒔く人の働きのように、多くは徒労に終わります。五つのうち、四つは達成できないかもしれない。しかし、それでも、いつかは、五つ目が豊かに実りを得るかもしれない。また、神の国は、多様な人間が神の言葉を聞くようなものかもしれません。聞き方は多様であり、神の言葉によって養われるかどうか、生きることが支えられるかどうか、分からないものです。けれども、もしかすると、人によっては、それが起こるかもしれません。心して神に期待せよ!