07│2019年02月10日 降誕7 安息日の主

週    句

あなたの上には、主が輝き出で、主の栄光があなたの上に現れる。
イザヤ書 60:2
説  教    「人の子は安息日の主である」    :梅田 環

安息日の主
出20:8~11、Ⅰコリ3:18~23、ルカ6:1~11、詩42:2~12。

そして、彼らに言われた。「人の子は安息日の主である。」
ルカによる福音書 6:5

 イエスは、ダビデの行為を引き合いに出し、律法をどのように受け取り、実践するかの権威は、「人の子」にある、と言います。この「人の子」が終末的メシアのことを意味するのか、それとも、イエス時代の一人称の表現としての「人の子」(つまり、「わたし」)を意味するものなのか、それとも、一般的な意味においての人間を意味するものなのか、諸説あります。
 または、「人の子は安息日の主である」とイエスが語るとき、その言葉が意味しているものは、一般的な意味においての「人の子」であろうと、理解することもできるでしょう。すなわち、人は安息日に支配されるものではない、ということをイエスは伝えたということです。そのように理解した場合、イエスはこの言葉によって、律法を根拠にして、人間の間で、権威を振りかざす当時の宗教勢力の姿勢に、正面から対峙しようとしている、ということになります。イエスは、その勢力との対決によって、権力によって排除される全ての人を、神の恵みのもとにあるいのちへと取り戻そうとしているのです。
 そこで、そのような発言の実践として、イエスは「ほかの安息日に」片手が不自由な人を公の場所で治癒するという行為に出ました。
 それは、人を分断し、排除する社会に広がり、人の世界を支配する価値観を乗り越えようとする行為でした。この挑戦は、対立する者たちの憎悪を掻き立て、イエスの十字架を招くことになります。それゆえ、「人の子」は、神の国の姿が示される終末的なメシアとなってゆくことになります。