52│2018年12月23日 降誕前1 告 知

週    句

主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。主はすぐ近くにおられます。
フィリピの信徒への手紙 4:4、5
説  教    「ひとつの若枝が育ち」 :梅田 環

告   知
イザ11:1~10、Ⅰコリ1:26~31、ルカ1:26~38a、詩89:20~30。

エッサイの株からひとつの芽が萌えいで/その根から一つの若枝が育ち/その上に主の霊がとどまる。
イザヤ書 11:1

 政治指導者の失敗や経済的疲弊のあと、人間が世界に期待するべきものは何でしょうか。預言者イザヤはそれを端的に「一つの若枝」と言い表します。その人物には霊がとどまるが、それは正しく人を導くことのできる能力をこの人物に与えるもの、「主を知り、畏れ敬う霊」であるといわれます。
 造られたものとして、いのちに対する畏敬の念を持っていること、そのことこそ何よりも重要な、崩壊を経験した人々のための導き手の資質です。その霊に満たされたものに導かれる世界では、いのちの調和が生み出されるのです。それをイザヤは、自然界に存在する生き物の姿によって描き出しています。肉食獣と草食獣とが調和して生きる世界、それは、弱い者、傷を抱える者が、虐げられることなく、むさぼられることなく、生きることのできる世界の幻であるのです。
 この言葉を受け取った人々は、そのような世界をもたらす者を「平和の王」として待望しました。そこにおける平和は、ただ戦争のようないのちを損なう行為が存在しないということだけを意味するのではありません。また、それは、世界に困難があっても自分の内面には、平安が保たれる、というようなことでもありません。そこにおける平和は、そこに存在するものすべてが、内面的にも、外面的にも、全く健康で安全に保たれた状態で存在することのできる関係がある、ということを意味しているのです。
 世界の平和は、大きな暴力によって保たれているように見えますが、預言者は、全く暴力によらない平和を追求する幻を見ます。