週 句
疲れた者、重荷を負う者は、だれでも、わたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。
マタイによる福音書 11:28
疲れた者、重荷を負う者は、だれでも、わたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。
マタイによる福音書 11:28
説 教 出会いの祝福 :梅田 環
悪霊追放
サム上16:14~23、使16:16~24、マコ5:1~20、詩32:1~7。
わたしたちは、祈りの場所に行く途中、占いの霊に取り憑かれている女奴隷に出会った。
使徒言行録 16:16
「教会の迫害者」だったパウロは、イエスとの出会いによって、福音宣教者となった。今でこそ、「異邦人の伝道者」と呼ばれるが、当初の宣教対象はもっぱらユダヤ人であった。この時もユダヤ人が集う場所である「祈りの場所」に行こうとしていたのである。
その途上、占いの霊に取り憑かれた女性に出会う。彼女は、霊の力を悪用され、自分自身を失っていた。彼女の存在価値は、その主人に利益をもたらすことにのみあった。彼女は叫びながら、何日も、パウロにつきまとった。宣教の意気に燃えていたパウロは、きっと、彼なりの宣教の計画をもっていただろう。まずユダヤ人の集う場所に行ったことから、そこで自分のような人々と接触し、「その道」(イエスの道)を分ち合おうと思っていたのではなかろうか、と推察される。そこに、異邦人であり、しかも、悪霊に取り憑かれて、主体性を失った女性がしつこく声をかけて来たのだ。
パウロは彼女を無視し続けた、しかし、彼女は諦めなかった。その姿に、イエスの言葉が重なる。「執拗に頼めば、起きて来て必要な物は何でも与えるであろう。……求めなさい。そうすれば、与えられる」(ルカ11:8~9)。パウロは、仕方なく、振り向き、彼女を癒す。
これは、彼女の癒しの物語というよりも、パウロ自身の回心の物語ではないだろうか。パウロにとって、彼女との関わりは想定外で、歓迎できるものではなかった。これさえなければ、自分の計画通り進めることができたのに、といらだちもしただろう。しかし、これさえなければという出会いに体と心を傾けたとき、救いの出来事は起こる。
悪霊追放
サム上16:14~23、使16:16~24、マコ5:1~20、詩32:1~7。
わたしたちは、祈りの場所に行く途中、占いの霊に取り憑かれている女奴隷に出会った。
使徒言行録 16:16
「教会の迫害者」だったパウロは、イエスとの出会いによって、福音宣教者となった。今でこそ、「異邦人の伝道者」と呼ばれるが、当初の宣教対象はもっぱらユダヤ人であった。この時もユダヤ人が集う場所である「祈りの場所」に行こうとしていたのである。
その途上、占いの霊に取り憑かれた女性に出会う。彼女は、霊の力を悪用され、自分自身を失っていた。彼女の存在価値は、その主人に利益をもたらすことにのみあった。彼女は叫びながら、何日も、パウロにつきまとった。宣教の意気に燃えていたパウロは、きっと、彼なりの宣教の計画をもっていただろう。まずユダヤ人の集う場所に行ったことから、そこで自分のような人々と接触し、「その道」(イエスの道)を分ち合おうと思っていたのではなかろうか、と推察される。そこに、異邦人であり、しかも、悪霊に取り憑かれて、主体性を失った女性がしつこく声をかけて来たのだ。
パウロは彼女を無視し続けた、しかし、彼女は諦めなかった。その姿に、イエスの言葉が重なる。「執拗に頼めば、起きて来て必要な物は何でも与えるであろう。……求めなさい。そうすれば、与えられる」(ルカ11:8~9)。パウロは、仕方なく、振り向き、彼女を癒す。
これは、彼女の癒しの物語というよりも、パウロ自身の回心の物語ではないだろうか。パウロにとって、彼女との関わりは想定外で、歓迎できるものではなかった。これさえなければ、自分の計画通り進めることができたのに、といらだちもしただろう。しかし、これさえなければという出会いに体と心を傾けたとき、救いの出来事は起こる。