13│2018年03月25日 復活前1 十字架への道

週    句

人の子も上げられねばならない。それは、信じる者が皆、永遠の命を得るためです。
ヨハネによる福音書 14:15
説  教    主よ、目覚めを給え!   :梅田 環

十字架への道
イザ50:4、フィリ2:5~11、マコ14:32~42、詩24:1~10。

イエスは三度目に戻って来て言われた。「あなたがたはまだ眠っている。休んでいる。もうこれでいい。時が来た。……」
マルコによる福音書 14:42

 エルサレムに入城するにあたって、イエスは村の入り口にいる子ロバを連れて来るように指示した。イエスが求めたロバは、村の周縁を居場所とし、そこに繋がれている。神にふさわしくないものは、神の家から最も離れた場所を住まいとしなければならないのだ。当時、周縁に追いやられた人々とは、職業差別を受けていた人や、心身に深刻な病を抱えていた人たちである。彼らは、祝福ではなく、呪いを身にまとい、神の救いに与り得ないものとして扱われて来た。彼らは周縁に追いやられ、そこから出ることが赦されない。
 そのロバを拘束する縄目を、イエスはほどき、解放し、神の祝福があることを宣言される。イエスが誕生された際、神は「すべての民を救う」との約束を宣言された。この世において、数に入れられていない人々が、再び、神の祝福のうちに生きるために、イエスはお生まれになり、今なお、それを使命として生き、虐げられた者の命を回復してくださる。
 しかし、イエスはそれをご自分ひとりでなされるのではない。イエスは、縄目を解く働きを、弟子たちに託された。神の救いの業に参与するようにと、呼びかけている。その道行きは、イエスの受難に現れているように険しいものである。妨げるものが多くある中で、神の救いを宣言するよう求められている
 イエスは、わたしたちを解放し、自由を与える道にわたしたちを招く。その招きに応え、イエスの歩みに伴う者としての自覚を新たにしたい。主よ、目覚めを給え! 今日は受難週のはじめの日。